今回紹介するブログは、平成26年6月に開催されました戊辰戦争研究会の史跡巡行「青山集会」の様子を会員の「剛丸先輩」が発表されたブログです。
個人のブログですので、記事内容についてはあくまで個人の感想です、さらにブログの題名が「宴会日記」とありますように、宴会の模様が主として描かれております。
つきましては戊辰戦争研究会は、宴会大好き研究会ではありません。
れっきとした史跡めぐり・講演旅行の研究会です。誤解のないようお願いしたいと思います。
では本文をお読みください。
これは先月の6月28日(土)のことです。(注・平成26年6月28日のことです)
だいぶ月日が過ぎてしまったので(ほぼ10日ですが)掲載はスルーしようかなと思いましたが、私が参加する「戊辰戦争研究会」の東京での行事は半年ぶりですし、それに主宰者の星亮一先生も参加するというのでどうしてもスルーするわけにはいきません。それに今回は26名の参加者がいることですし私も張り切って参加したことですし、それに久しぶりの恵比寿ガーデンプレイスでの懇親会(宴会)もありますし、頑張ってブログに書きましょう。
さて、6月28日の「青山集会」の集合は2回に分けて集まりました、というのも全国各地から集まりますので遠方から来た人はどうしても昼食の問題が発生します。
ですから一旦集まり東京駅周辺で昼食をとり、再度東京組と午後0時30分の集合となりました。 北は福島県、西は岡山県・大阪市、静岡県から研究会の会員26名が集合しました。 東京駅から地下鉄を乗り換えて銀座線・外苑前で下車して青山墓地まで歩きます。
南青山の「青山墓地」での会津藩関係の墓所を巡ります、私は各墓所で写メしましたがその写真をブログに掲載すべきではないと考えております、会員の中には午後遅くに墓所を訪れた時に「ついてこないで」と言いながら墓所を後にするそうです。私はあまり霊感が強い方ではありませんが、無くなった方々への敬意を表して青山墓地の墓石の写真は載せません。 ですが墓石ではなく墓所に植えられていた松の木の写真を掲載します。
ここは青山墓地の会津藩士・山川家(山川浩・健次郎)の墓所に植えられていた松の木です、この松は山川家の母堂の墓の隣に植えられていました。
なぜ松の木なのか?、戊辰戦争後に山川家の娘・山川咲子がアメリカに留学することになりました、その時に母は娘を捨てたつもりで待つという願いを込めて「咲子」と言う名前を「捨松」という名前に変えてアメリカに送り出しました。その「捨松」が留学を終えて帰国した後は薩摩藩士の「大山巌」に嫁いだことは有名です、そういう思いが山川家の墓所の松の木にあるのでしょう。 青山墓地探索を終えた後は南青山の「根津美術館」に入りました。
写真は「根津美術館」の建物前景です、南青山という地に美術館があったなんて今回の前下見で初めて知りました(実は1か月前に下見で訪れていました) 美術館の入場では20人以上の団体になりましたので、200円引きの800円の団体割引で入場できました。 私は前下見のときに館内を見学していましたので今回は庭園に廻りました。
根津美術館の庭内の一部です、庭内は山を崩したらしく斜地が多く、その中には池あり、滝あり、流れあり、休憩のためのベンチありとサービス満点の庭内でした。 ここを一人さびしく歩きました。 根津美術館では1時間を過ごしていよいよ懇親会(宴会)の時間です。 皆でタクシーに分乗して恵比寿ガーデンプレイスに向かいます。 懇親会(宴会)会場は39階の「居酒屋・北海道」です。
懇親会には17名の研究会の会員が参加しました。 写真は「戊辰戦争研究会」の横断幕の前に座る主宰者の星亮一先生です、星先生は執筆活動されていて著書などで写真が出ていますし、ポスターや講演会のチラシにも写真が出ていますので掲載します、でも隣に座った岡山県から来た事務局長は私人ですので修正しました。私の修正の仕方が下手だったためにせっかくの美人を台無しにしちゃいました。事務局長済みません。
今回の私の宴会セットです。 呑み放題の懇親会ですので私の前に瓶ビールが3本も並んじゃいました。日本酒に移る前にたっぷりとビールを呑みます。やはり「北海道」です、サッポロビールの黒生が出ました
私が幹事を務める宴会では薩摩のイモ焼酎はご法度です、ついでに九州産の麦焼酎もご法度です、ですが今回参加されています主宰者の星先生はイモ焼酎が好物なんです、ですから今回に限って私は楽しくイモ焼酎の「かのか」を2本も用意しました。 ついでに焼酎グラスを6個も用意しました。男性の皆さんには「今回だけですよ」と小さな声で言おうとしました、言おうとしただけです。 研究会の仲間と久しぶりに会い(半年ぶりとか1年ぶりとか)大いに呑んで大いに会津談義で盛り上がりました。 そんなときに思いがけない料理が出ました、「うに」です。
証拠の写真です、柵で出てきました。 やはり「居酒屋・北海道」です、「うに」がどんと出てきました。 幹事の私としてはここを選んで良かったとつくずく思いました、でもここ数年間は東京での懇親会(宴会)といえば「北海道」なんです、おそらく次回も「北海道」でしょう。 予定では2時間のコース料理だったんですが、料理の出が遅かったために全部食べ終わったのが3時間30分後だったのです、これは自然に延長出来てラッキーでした。 ですが当日に新幹線で帰る人もいますので長居は出来ません、その後39階で記念写真を撮って解散です。
こうして関東支部主催の「青山集会」は終了しました。
次回は、9月13日の秋田集会と9月21日の京都集会が待っています。
私ら「戊辰戦争研究会」の活動は盛況ですぞ。
2024年春季号 vol.5
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