日本酒の製造には2つの工法がある、古来からの「生酛造り」と明治末期に実
証された「山廃仕込み」である。「生酛造り」は蒸米と麹と水を入れた桶に女性の
足で粗踏みし、かい棒で7時間以上潰した後2週間放置し、発生した酵母をさら
に2週間培養するといった手間がかかる古来からの工法である、それらを
「山卸し」というが、その作業を廃し市販の乳酸と培養酵母を添加することで、
2週間で培養できる。それが「山廃仕込み」といわれる。
その「山廃仕込み」で出来たお酒が、「末廣」である。
明治末期に「山廃仕込み」を実証した全国5か所の蔵のひとつが「末廣」である。
末廣酒造株式会社
会津若松市日新町12-38
嘉永3年(1850年)創業
「會津伝承山廃純米 末廣」と、ラベルに記入されている。
創業者である新城猪之吉は、会津保科正之の家臣として仕えた新城家から
分家独立し酒造りを始めた。明治期には野口英世を援助した小林 栄の姉が
新城家(末廣)に嫁いだことにより、野口英世と(末廣)は親戚同様になり現代
の末廣酒造には野口英世の書が残っており、また松平容保公や徳川慶喜公
の書もあり、蔵見学により拝謁出来る。
現在の末廣酒造は、博士山からの伏水を利用した「博士蔵」と、代々伝わる
「嘉永蔵」の2か所があり、ともに見学することができる。
会津は寒い地方のために濃い味の料理が主流で甘口のお酒が多かったが、
冷暖房が進み健康志向により薄味、あっさりの料理に合う辛口が増えている。
「末廣」はもちろん辛口のお酒である。
「不易流行」とは松尾芭蕉の哲学であるが、変わらない本質を持ちながら
新しく変化していくものを取り入れる。このことが、「山廃仕込み末廣」が、
今の時代まで確固とした会津のお酒の地位をつかんでいるのだろう。
会津若松市日新町にある「嘉永蔵」の軒先には、新種の到来を告げる大きな「杉玉」が会津の街並みを睨んでいる。
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