幕末に関しまして、たくさんの新聞記事や史跡探訪しました時のものがでてきました。今回は、「橋本佐内の書状」に関しましての新聞記事をご紹介いたします。
橋本左内の書状を県が取得 福井藩校教諭宛て4通 安政の大獄で拘禁される直前、橋本左内が福井藩校の2教諭宛てに送った自筆の書状=25日、県庁 福井県は25日、幕末の福井藩士橋本左内が安政の大獄で拘禁される直前の1858(安政5)年5~9月、福井藩校の2人の教諭宛てに送った自筆の書状4通を購入したと発表した。この時期の自筆書状は少なく、歴史的に価値が高い。また藩主の松平春嶽が処罰を受けた時の左内の心情などがつづられ、内容的にも貴重な史料。26日から福井市の県立歴史博物館で特別公開する。 4通はいずれも、幕政改革を訴えるなど江戸で活動していた左内が、福井藩校・明道館の教諭だった藩士榊原幸八、伊藤友四郎の両名宛てで送った。これまで左内に関する史料は「橋本左内全集」(1908年)、「橋本景岳全集」(39年)にほぼ収録されていたが、4通の書状は未掲載。 書状には福井藩に招かれ政治顧問をしていた横井小楠の体調を気遣ったり、明道館の運営に対する助言、米価高騰など江戸の情勢、自身がマラリアの一種「瘧(おこり)」を患ったことなどがつづられている。 春嶽が大老・井伊直弼(なおすけ)から隠居謹慎の処罰を下された直後の7月15日付では「臣下の心は痛嘆に耐えかね、誠に血涙の至りです」「志気も消え失せ、ほんのわずかもこの世に望みはなく思っております」との文面で、春嶽のことを思い、悲嘆に暮れる胸の内が強く表現されている。 4通とも縦20センチ、長さ7・5メートルほどの巻物1本に張り付けられている。明治・昭和期の思想家で歴史家の徳富蘇峰(そほう)が1930年に記した奥書もあり、蘇峰が一時所有していたとみられる。蘇峰は奥書で「ゆったりとして巧みな言葉の使い方からは、余裕のある英雄の度量が感じられる」などと左内を評価している。 書状は4月中旬、福岡市で古書展示即売会に出品されていたのを越前市出身の歴史学者、猪飼隆明・大阪大大学院名誉教授が見つけ、連絡を受けた県がこのほど購入した。価格は190万円。この書状は84年に福井市立郷土歴史博物館で公開されたことがあるという。 県立歴史博物館では「橋本左内書状―書状から見える幕末の福井と日本―」と題して5月26日まで特別公開する。併せて仙台藩主伊達慶邦(よしくに)が春嶽に宛てた書状や、同館が所蔵する左内、小楠らの書状も展示する。27日と4日の午後2時からは同館学芸員による展示説明会がある。(2013-4-26 福井新聞)
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