当マガジンのVol.8で紹介しました「リレーで繋ぐ講演会の輪」、そのマガジンに載せた記事が、今度は「ミニミニ講演会」発行の会報誌そのものの記事に載りました。戊辰研マガジンの宣伝までしていただきました。感謝です。
ミニミニ講演会の会報誌
8月7日(火)は第482回目のミニミニ講演会の日でした。この日、平の街は七夕まつりの二日目で、若い人達は浴衣を着て夜の街を歩き、そして屋台の店に足を止め七夕まつりを楽しむのであります。我が家の家族もご主人様をさておき、七夕を見にそそくさと出て行ってしまったのです。この日、私は夜の仕事が休みで、一緒に出かけても良かったのですが、どうも人ごみの中を歩くのが好きではないので、家でのんびり酒でも呑もうと思っていました。そんなところへ携帯メールの着信音がピロ~ンと鳴り響いたのです。
画面を見たら「来ないの?」の一言メール
「はぁ?何だっけ?」
そうか、今日はミニミニリレー講演会の日。「いわき三藩の戊辰戦争」の著者である上妻又四朗さんの講演会の日だったのです。すっかり忘れていました。
上妻又四朗さんの著書「磐城三藩の戊辰戦争」
講演会は19時からでした。メールが来たのが19時。「やばい!もう始まる」
道路は七夕で混雑していると思い、車は使わず自転車を走らせ急いで文化センターへ向かったのです。自転車は5段変速で、ギアを最速のトップに入れペダルを漕ぎました。重くて走らない。老体でトップギアのペダルを漕ぐのはひと苦労。ギアを最低ギアに切り替えました。今度は軽くて楽なのですが、漕いでる割には自転車が前に進まない。なかなかうまく行かないものです。中段ギアに切り替え、なんとかまともなスピードで走る事が出来ました。
10分後、文化センターに到着。急いでエレベーターに載って4階まで上がりました。
エレベーターから降りた先の会議室に「ミニミニ講演会」の張り紙がありました。ドアは閉まっていたので、気持ち小さめのノックをしてドアを開けてみたら、上妻又四朗さんの熱弁がすでに始まっていたのです。恐る恐る入って行きましたが、座る椅子がありません。講師の目の前しか椅子が空いていないのです。みんな、前から詰めてくれればいいものを、なんで後ろから詰めて座るのか!遅刻して入って来たのがバレバレではないですか。文句も言えないので、一番前の席に静かに腰を下ろしました。
講演は、徳川慶喜が寛永寺に謹慎した云々という話の最中でした。
座って一息ついた時、運営者の瀬川さんが講演会の資料とコーヒーを持って来てくれました。暖かいコーヒーでしたが、自転車を漕いで来たので乾いた喉にはありがたいコーヒーでした。
聴講者の皆さんは渡された資料をじっと見つめ、上妻又四朗さんの講演に聞き入っていました。私の隣には前回も参加した「長曽我部さん」が座っていました。
この方は女性ですが、長曽我部というと四国のあの有名な戦国武将「長曽我部元親」を思い浮かべる名前です。この方のルーツを探ると長曽我部元親なのかも知れないな!なんて想像を膨らませたのですが、隣の長曽我部さんは嫁に行った立場なので、旦那様が長曽我部なのでしょうね。今度会ったらルーツを聞いてみよう。
私は皆さんが座っているテーブルをぐるっと見渡し、あるものを探したのです。そうです、あの「ミニミニリレー募金缶」です。しかしどのテーブルにも募金缶がありません。今回は募金無しということなのか?まっ、それはそれでいいとしましよう。
その後、講演は奥羽鎮撫総督の派遣、討会応援兵白河出兵、白石会議と白石盟約、平藩主安藤信勇の動向、外部勢力のいわき来援、といった内容で進んで行きました。
ミニミニ講演会の資料
約1時間の講演のあと、聴講者の質問・討論会が始まりました。聴講者は皆さん地元の歴史には詳しい方ばかりで、質問も深く掘り下げた質問が多かったのです。
特にいわきの戊辰戦争では、政府軍が進軍した経路は幾手にもまたがり、その経路についての討論がありました。私はもともといわきで育った人間ではないので、地理的なものは詳しくなく、フムフムと感心して聞くだけでした。
地理的な討論が発せられる中、磐城平藩の藩主安藤信正の戊辰戦争時の動向の話が持ち上がりました。老中時代の安藤信正に関する資料は山ほどあるにも関わらず、戊辰戦争時の資料がほとんどなく、本当のところ安藤信正はどのような考えでいたのかが知りたいと言う意見が多くありました。私も同意見でした。いわき市平には、この磐城平藩を治めた安藤家の家臣団の子孫によって組織されている平安会というものがあります。こういったところからまだまだ秘められた資料が出るのではないかと皆さん期待に胸を膨らませるのであります。
約1時間の質問・討論が終わり、時間は21時。使ったテーブルとイスを片付け、やっと瀬川さんと話が出来ました。瀬川さんからメールを頂かなかったら、私は忘れるところでした。と言って瀬川さんの横をふと見てみたら、例の物があったのです。ミニミニリレー募金缶。これだけいい話を聞かせてもらい、美味しいコーヒーまで頂き、タダで帰るわけにはいきません。ポケットに手を突っ込み、コイン1枚を募金させて頂きました。
エレベーターを降りて外に出ると、心配した雨は降っていませんでした。暗い夜道をまた自転車を漕いで帰路につきました。
七夕で賑わっていた平の街並みは、見物人の数もめっきり減り、明日の七夕最終日の準備に追われる商店街の明かりだけが光輝いていました。しかし残念ながら翌日は台風の影響で、予定されていた「いわき踊り」も中止となってしまいました。いわき踊りの「どんわっせ♪」と鳴り響く気勢のいい掛け声が聞けなくなり、さびしい夏となってしまったのです。
(記者:関根)
2024年春季号 vol.5
今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…
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