I 戦前の農家の間取り
江戸時代から戦後までの農家の間取りには特徴がある。それは牛小屋(または馬小屋)があること。上空から見ると家はL字型になっている。家族はLのところから出入りする。奥行5メートルくらいはある。この右側に「牛小屋」か「馬小屋」がある。 さらに進むと、コメの作業場になっている。ここで脱穀等をする。「とみ」などがある。 その作業場の左が「茶の間」で、その左に「座敷」が二つある。中座敷と奥座敷である。座敷の奥は廊下になっている。武家屋敷では、この廊下の奥に便所があった。 家は総じて夏型である。村上は冬寒いが、夏型になっている。夏には戸を開けて風を入れ、蚊帳をつる。私の家には明治期のカヤがある。今でも使用できる。 作業場の右に「流し」がある。流しには井戸がある。私の家では戦後まで、つるべで水を汲んだ。私は風呂焚きをしたが、つるべで水を汲んだ。その井戸は今もあるが、床板の下。井戸に落ち込む危険性はなかった。 井戸は数年に1度、「井戸かい」をして掃除する。井戸に入るには周囲の石に足をいれて下へ行く。数メートル下がると井戸水がある。 牛小屋のワラを外に取り出して、正方形に積む。これを「こいざ」という。捨てるものは食べ残りや野菜類で、「こいざ」に捨て、肥料にした。 大の便所は屋外にある。戦後、紙が手に入らなく、野の特殊な植物の葉を取ってきて使用した。最近は何でもあるが、会社で、いろいろ燃やすせいか、暑くてしょうがない。 夕方は近所の幼馴染と蛍狩りをした。全児童が「火の用心。パチパチ」といって村を回った。
II 農家の井戸
農家の茶の間と流しには神棚がある。流しの神様が「水神様」で、井戸の近くにある。井戸水は年中15度くらいである。つるべで水を汲むとき、「こつ」がある。今、井戸を持っている家は少ない。井戸の長所はお金がかからないことである。昭和60年ころからだろうか、配水系となった。 昨年、自転車で廻っていたら、ある家の道路の横から水が吹き飛んでいる。聞いたら配水管からだそうだ。そろそろ配水管が腐食する時期に来ている。膨大なお金がかかるだろう。飲み水もトイレの水も同じようでは、いずれ大変なことになるだろう。 戦後まで家の横を小川が流れていた。今は小川もない。戦後まで、小川には神様がいた。小川に団子を挿す祖母や母の絵を描いている。「日本人はバチがあたらなければよいが」と思いつつ。 生家の後ろが900坪の田んぼだ。ポンプで水をあげ田んぼにやると、月に30万円かかるらしい。これでは、コメつくりはできない。大豆に切り替えている。
III 農家の「こいざ」
戦後まで、 農家の横に「こいざ」というものがあった。牛小屋に敷いたワラや食べ物の残りを捨てる「座」で、面積は5mx5mくらいで徐々に高くなる。 現代と違って、すべて堆肥にした。大小の便は、別に、桶で畑に持ってゆく。 「あの人(娘)は温床育ちだから」という表現がある。「裕福な家庭で楽をして育った人」のようだ。「温床」を実際に作った私の感じでは、ちょっと違う。 温床を作るには、まず、ワラで、長方形の枠を作り、そこに牛や人の尿を撒く。さらに、ワラを敷く。この操作を繰り返す。そこにサツマイモなどを植える。その後、温床に熱が出てくる。サツマイモの芽がぐんぐん成長する。これをはさみで切って畑に植える。要するに「温床」とは「小便のつまったもの」である。 最近の暑さの原因は分からないが、「ごみの出し過ぎ」を感じる。「日本は特にひどい」と感じる。
IV 故郷で驚くことあり
1 あまり書きたくない話ですが、私が子供のころ、生家の近くで、ある若い婦人が畑仕事をしていた。そのとき、桶に入った「尿」を野菜か穀類に撒いていた。最近、帰省した時、このおばさんを訪ねた。80才に近い方を見て、私は驚いた。 「なんと美しい方か」と。
2 私のいとこが90代半ばであるが、自転車でリアカーを引っ張っている。この元気さに村人は驚いている。「あの元気さはなんだろうか」と。
3 私の祖母の生家の「おじさん」は100歳を超えたが元気。「2と3の元気さは何だろう」と考えているが、一つ考えられるのは「自分の娘家族と食事している」ことが共通している。昨年、100余歳のおじさんの娘Cさんの娘さんを見てびっくりした。「お母さんが若いときにそっくり」と。
4 私の生家の近くのお婆さんと会った。「あなたは赤ちゃんのとき、よく泣いたね。なぜだろう」。「私より、私をよく知っている人が、この世にいるんだ」と驚く。
5 農村の動物 戦後までよその人が、夜、家に遊びに来た。当時は予約という言葉がない。 お客さんがいろいろの話をしてくれるので面白く、今、それを絵に書いている。 話の例を書く。 「いま、来るとき、なんだか わからないが 木から飛んできて、他の木へ飛んでいったよ。たまげたなぁ」というようなものである。私の推測では、「ムササビ」ではないかと思う。 隣のおじいさんが鶏を100匹くらい飼っており、自由に我が家の敷地に来た。 当時は誰も何も言わなかった。夕方になると、おじいさんが「とーとーとーとー」と呼ぶ。鶏が一斉に帰って行った。
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