慶応4年(明治元、1868)、私の曾祖母・鈴木光子は、8歳で会津戊辰戦争に遭遇する。
戦いに敗れ女性ばかりとなった家族は、斗南(現むつ市)へ渡るため、アメリカ商船が船出する新潟に向かう。光子、10歳のとき。
本州最北の地で艱難辛苦の三年を過ごし、光子は懐かしの故郷へ帰ってくる。
18歳で結婚した光子は、東京での勉学を志す夫に寄り添い、故郷を後にする。
会津は周囲を急峻な山々で囲まれた盆地である。光子は、人生の節目、節目に、それぞれの峠を越えている。会津の峠の険しさは、彼女が越えなければならなかった人生そのものだったに違いない。
曾祖母を思い、詩「会津の峠」を詠む。同じように戊辰の時を駆け抜けた会津の若者たちも、厳しい峠を越えて各々の道を切り開いている。彼らにも思いを馳せて……。
令和元年7月7日
会津の峠
人が撃たれ街が燃える
少女8歳
戦火逃れて小檜沢(こびさわ)峠
けわしい山道、苦しさばかり
父を失い北へ往く
少女10歳
故郷追われて十三峠
先は大海(おおうみ)、不安がつのる
思い出つらく帰り着く
少女13歳
故郷ふたたび滝沢峠
助かりし命、青葉目に染む
維新の時を生きていく
妻となり18歳
あしたへ越える中山峠
おおきな望み、心に秘めて
滝沢峠を越え、会津若松への道
2024年春季号 vol.5
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