「新島八重顕彰会」のホームページから引用させていただきます。
【攬勝亭図】
原文 元会津公別園 攬勝亭十景ノ其一
炙背秋月
襟帯湖山鎮奥州
白河北去路悠々
一輪炙背嶺頭月 昭盡癈興古今秋
行かひし
昔のあとと
秋の夜の
月もよすがら
山路越ゆらし
読み・意味
湖山を襟帯し奥州を鎮(おさ)む 白河
北去 路 悠々 一輪 炙背 嶺頭の月(背炙山を炙背と記す) 昭盡
廃興 古今の秋
磐梯山、猪苗代湖をもってこの地は奥州の抑えとなる地、白河から北にみちは続いている。
さて、美しい背炙り山の上の月、この月は古今の興亡の歴史を見て来たのだ。
和歌、 昔から、会津、白河を通る道は背炙り山、秋の美しいこの月も、一晩中旅人と同じように山道を超えているだろう。(和歌の意味もこんなところと思いますが、吉海先生にご確認願います。) 詩歌の方には、作者名がないのですが、十景とありますから、これが十枚あって、最後に書いてあるかもしれませんね。画の方は「東郊」と明確に確認できます。
以上が、「新島八重顕彰会」の岩澤信千代さんの掲載記事です。
次に、Facebookの「攬勝亭を守る会」から引用します。
【渡辺東郊作の攬勝亭十景画】
【現在の攬勝亭】
渡辺東郊作の攬勝亭十景画からわかること 画を見ると、背炙り山にを背にしていますし、右手に路地門が見えていて、一応の区切りになっているようなので、当初の門は敷地の南西隅に在ったと言うことになります。現在の門より南だったという言い伝えにも符合しています。鄙びた冠木門の脇に芝垣が巡っていて質素ですが趣のある風情です。更に驚くことには、当初の場所とおぼしき場所に今でも同じ碑が立っているではありませんか!!画では碑の斜め後ろに見える小ぶりの松が大きく育って前に張り出し、碑が傾いてしまったのが現在の姿だと言って間違いないように思われます。では、この碑はいったい何なのでしょう?
「攬勝亭」につきましては、まだまだ眠っている貴重な資料がたくさんありそうです。やはり、会津三庭園のひとつでもあります「攬勝亭」の絶対に保存して頂きたいですし、会津三庭園として美しい庭園に再整備して頂き、長期的に保存して頂くことを強く望みます。
【記者 鹿目 哲生】
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