白虎隊墓地のローマ碑
当マガジン11号に「会津白虎隊とローマ碑」と題した記事を書きましたが、そのローマ碑について、昭和天皇と駐日イタリア大使のポンペーオ氏の白虎隊記念碑について会話を交わした史料が外務省外交史料館に残っていたという記事の新聞報道がありました。
紆余曲折を経て飯盛山白虎隊墓地にローマ碑が建てられたわけですが、当時28歳の昭和天皇もこのローマ碑に気を留めていた様子がわかる内容でした。以下、新聞記事内容です。
【駐日イタリア大使に昭和天皇の白虎隊碑巡る会話が明らかに】
1929(昭和4)年11月28日に皇居宮殿で開かれた昼食会で、昭和天皇とポンペーオ・アロイージ駐日イタリア大使が会津若松市の会津飯盛山白虎隊士墳墓域内にある白虎隊記念碑について会話した内容の一部が、外務省外交史料館所蔵の史料から明らかになった。会話の中で記念碑について触れたことは「昭和天皇実録」に記されているが、具体的な内容の記述はこれまでなかった。外交儀礼の会話が史料で残っているのは珍しいという。
外交史料で裏付け 宮内庁書陵部編修課の白石烈(つよし)主任研究官(42)=いわき市出身=が県内の歴史や文化を紹介する会報「フークトープ通信」第四十一号に、白虎隊記念碑と昭和天皇について寄稿した。
宮内庁書陵部編修課白石氏
昭和天皇と大使の会話内容が記された外務省外交史料館所蔵の史料
白虎隊記念碑は1928年、イタリア・ローマ市が日本に寄贈し、同年十二月に除幕式が行われた。 白石氏によると、昼食会は式に出席した大使が日本を離任するに当たり開かれた。昭和天皇は大使に「会津ノ白虎隊記念碑モ首尾ヨク建立セラレ、結構ニ存ス」と祝意を述べた。大使は昭和天皇の弟高松宮宣仁親王の「御賛認」のもとで記念碑を建立できたことは喜びに堪えないとし、イタリア人が「日本ノ国士」(白虎隊士)を敬慕していることを日本人に記憶してほしいと述べている。史料は通訳によって タイプ打ちされたという。
白石氏は「昭和天皇と皇族が白虎隊記念碑に関係していた意味について、議論が深まってほしい」と話している。
(2021年4月30日 福島民報新聞)
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