その十一 アクセント空白地帯の不思議
関東北部から東北の南部にかけての一帯は、全国でも珍しいアクセント空白地帯といわれている。高名な国語学者がこの事を発見し、驚いたらしい。
このアクセント空白地帯の栃木県に生まれた私は、箸と橋、雲と蜘蛛などの発音を聞いても、アクセントの区別ができない。こう書きながらも、世の中にアクセントの違いなどあるのかな、と不思議である。
大学に入ってすぐ、学園生活に期待をふくらませている頃、新しくできた大学の友人に「お前、なまってるな」と良く言われた。数カ月東京での生活にひたり、いなかに帰った夏休み、いなかの友人に会うと「おめー、なまってるな。気持ちわりい。」と言われた。
周囲の環境に染まって、アクセントなどが変化するようなのだが、自分の話し方がどう変化したのか全く分からない。
別にそのことで生活に支障をきたすこともなかったので、悩むほどのこともなかったが、自分の話し方がどういう具合なのか、理解できないまま現在に至っている。
先日、中学校の同級生数人と酒を飲んだ。その時、アクセントの話で盛り上がった。友人もみな、似たりよったりで、アクセントがわからないままであった。
大学時代に落語研究会に籍を置いたという友人がいた。彼は落研時代の4年間、江戸弁に苦労したという。回りからは変な江戸弁といわれて、古典落語はあきらめたと言っていた。
また、彼は数年前まで故郷の小学校で教鞭をとっていた。教える教師も教わる生徒もアクセントがわからない。この授業は避けて通れないが、適当にお茶を濁したらしい。
今思えば、小学校の国語の授業はどんなだったのだろう。教室で声をそろえて「橋と箸」「雲と蜘蛛」とやってた記憶があるが、声をそろえる生徒たちは、何をやってるのか誰もわからない。先生もたぶんわからない。
授業風景を想像するとおかしくなる。タイムマシンがあるならば、覗いてみたいものだ。もっとも、覗いたところで、私にはその授業の滑稽さは理解できない。
その十二 極楽浄土
母方の祖母は99歳で死んだ。その祖母が死ぬ数年前に一度死にかけた事があった。祖母の様子が変だというので医者を呼び、家族が集まっていた。もうだめかという時、孫たちが「ばあちゃん」「ばあちゃん」と揺り動かしたら、ふっと我に返り息を吹き返したという。
直接聞いた話ではないが、その時祖母は川の向こうできれいな女の人が手招きしているのを見た。そして、向こう岸の方に舟で渡っていたという。
三途の川を渡りはぐった祖母は、よけいなことをしてくれたと怒っていたそうだ。私のいとこである孫たちは、その話をする度にまったくあのクソババアといってやはり怒っていた。
三途の川の向こうは極楽浄土。そこは花が咲き乱れ、はごろもを着たきれいな女の人がいっぱいいて・・・といったイメージがある。祖母の極楽浄土のイメージもそんなものだったようだ。このイメージはどこでどのように形成されるのだろう。
私の母は93歳で死んだ。その母が80歳の時自宅で転んで足を骨折した。高齢のため全身麻酔による手術は危険を伴う。しかし、体はいたって健康で、まだ10年以上は生きそうだという。手術を避けて車いすで生活するよりも、手術を受けリハビリをして歩けるようにした方が良い、と医師からアドバイスを受けた。結局、手術をして杖を使いながら歩けるようになった。結果は良かったが、麻酔から完全にさめるまで3日ほどかかった。
その間、母はどこかをさまよっていた。病院のベッドの上で目が覚めている間も「きれいな花がいっぱい咲いてる」といってみたり、すでに亡くなっている女学校時代の友達とおしゃべりしたり、クラブ活動の庭球をしたりと、楽しそうであった。
たぶん、自分の中の極楽浄土に遊んでいたのではなかろうか。
人間の心の、どこか深いところに刻まれた楽しい思い出の断片が、極楽浄土のイメージとして構成されているのかもしれない。ふだん見る夢と違って、死に直面するような重大事を前にして、脳がとっておきの極楽浄土情報を見せてくれるのかもしれない。
これが普段の夢と同じ構造であってはこまる。
きれいな女の人につられて川を渡ってみたら、渡し賃が足りないと追い返され、三途の川でアップアップ、汗をぐっしょりかきながら息をふき返した、というのでは情けなく、はずかしい。
その十三 警備員のつぶやき(4)「我慢と忍耐」
日本サッカー界で活躍していた中田選手は、試合中走りながら周囲の状況をキャッチし、敵味方の選手の配置を鳥瞰図的に把握する能力があると何かで読んだことがある。この能力により、絶好のスポットにパスを出すことができる。
これは素晴らしい能力だと思うが、一方で、簡単な平面図を認識できない人もいる。
警備の仕事にもいろいろあるが、私の主な仕事は100mほど離れたところにあるグループ企業の店舗を客に案内することである。
その店舗は細い車道を挟んだ向かい側の建物の並びにあるのだが、大きく見えるはずの看板が、手前のパチンコ屋の看板に邪魔されて、一部しか見えない。
客への説明は「まっすぐ行って左側」「歩いて1分くらい」である。これだけの情報で、客の6割方は「分かった」と歩きだす。
残り4割のうち半分は、警備員の言うことなんか信用できるかというタイプで、パチンコ屋の看板からハミ出す銀行の看板を確認してはじめて「分かった」となる。そして、残りの半分が問題である。
「まっすぐ行って左側」という説明は無視され、ハミ出した看板など見ようとしない。
「で、どういくの?」「向こう側へ渡るのね?」
「そうです」
「で、あっちへまっすぐ歩けばいいのね?」
「そうです」
「そこに、ちゃんとあるのね?」
このタイプの人は点と線、つまり、時間の推移は理解するが、面の把握ができないらしい。そして、そのタイプは中年以上の女性に圧倒的に多い。
そういえば、昔「話を聞かない男、地図を読めない女」という本があった。カーナビがない頃、助手席の女性に地図を持たせると、役に立たないどころか、とんでもない所へ誘導されることが少なくなかった。
警備員の仕事についた頃は、こうしたことに面食らうことが多かった。
最近は、たぶん人間には一定割合で、そういうタイプの人がいるのだと、認識するようになった。
職場で見かけるのは、地図が描けない人ばかりではない。のべつ怒ってる人、状況を理解しつつ無視する人、火のついたタバコやゴミを自然体で捨てる人などもいる。
そんな人達も一定割合で存在すると認識すれば、そうした人達との遭遇も運が悪かったと理解することができる。
警備員とは、職種にもよるが、我慢と忍耐の仕事なのである。
(大川 和良)
2024年春季号 vol.5
今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…
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