その六十四 小便小僧
今年もあっという間に2ヶ月が過ぎて、3月に入ってしまった。この冬はあったかかった。ここ埼玉では今シーズンは雪を見ずに終わりそうな気配である。こんな年は今までになかったような気がする。ちょっと寂しい。
雪を思っていたら、唐突に浜松町の小便小僧を思い出した。
現役で仕事をしていた頃のある雪の日のこと。JR山手線浜松町駅のホームの端にある小便小僧にも雪が降りかかっていた。誰が着せたか小便小僧はカラフルな毛糸のマフラーと毛糸の帽子をかぶっていた。毛糸の帽子にふんわりと雪がのっていた。粋な計らいにほっとしたことを覚えている。
おいらが小便小僧だったころ、雪の降りやんだ朝は誰にも踏み荒らされていないフカフカの雪のうえに「ジョー」とへたな字を書いたもんだ。朝一だと色ののりも良く、立ちのぼる湯気の勢いもあった。人跡未踏の雪山に足跡を記したような、そんな気分を味わった。
学校へ行くとグラウンドの端の方に小便小僧が横並びになってまっさらな雪をめがけて放水し、飛距離を競っていた。東京オリンピックの頃である。
落語では熊さんだか八つぁんが〈初雪や 二の字二の字の 下駄の跡〉を手本に、こんな句をひねっていた。
〈初雪や のの字のの字の しょんべんの跡〉
いつの時代も小便小僧のやることは似たようなものだったのかもしれない。それにしても、思い出す雪の記憶がこんな事ばかりというのは、ちょっと悲しい。
小便小僧は雪がなくても健在だった。子供のころ近所の神社仏閣は子供たちの格好の遊び場だった。
夢中で遊んでいて催してくると、お寺の裏の垣根で「ジョー」とやる。なぜかみんな一斉にツレションなのだ。
「コラッ!」という声に驚く。
こんなときに限ってなかなか止まらない。止まらないけど逃げないと・・・。垣根に沿って「わーっ!」と小便小僧たちの蟹の横ばい。
これを見たら寺の住職も怒るに怒れなかったに違いない。
そういえば今日は3月3日。桃の節句にふさわしくない話題になっちまったと思ったが、調べてみると小便小僧の本場ベルギー・ブリュッセルには、小僧の近くに屈んで放水する小便少女像もあるそうだ。ほんとかいな。
その六十五 経年劣化とオーバーホール
還暦を過ぎて6年目になる。最近体のところどころに原因不明の痛みが出るようになった。
3年前、右肩に激痛が走り医者にかかった。レントゲンも異常はなく、骨密度も年齢相応だという。いわゆる五十肩と判断された。
2年前、手に力を入れると右肘から手首にかけての痛みで力が入らず、ペットボトルのフタが開けられなくなった。これも骨などに異常はなく、腱鞘炎の一種のテニス肘と診断された。
いずれも長年使ってきた部品が古くなって劣化したということらしい。しかし、もうしばらく働いてもらう必要がある。肩や肘を動かしストレッチをして、痛みが完治するまでにそれぞれ半年くらいかかった。
数週間前、この痛みが下半身に降りてきた。両足の太ももの裏側、たぶんハムストリングといわれる部分が、経験したことのない鈍痛に襲われた。重力で筋肉が下に引っ張られるような異様な痛みである。
どうしたものかと思っていたが、ある日バス停でバス待ちをしていて、バスのステップを一段上がった瞬間、この痛みに襲われ、うしろのおばさんに倒れかかりそうになった。すんでのところで手すりにつかまって事なきを得た。うしろのおばさんも「じいさんが降ってくる」と、びっくりしたろう。
これはまずいと医者に行った。レントゲンなどの結果は異常なし、しばらくリハビリをすることになった。
マッサージやらストレッチ、スクワット等々いろいろやっているうちに痛みはやわらいできた。肩こりのようなものらしいが、完治するには相当時間がかかりそうである。
長年使い込んできた体に経年劣化でガタが来て、リニューアルの時期が来ているのだろう。人間の体は部品交換というわけにはいかないが、錆を落として油をさすことはできそうだ。
卓球仲間の70代後半の先輩によれば、60代半ばでオーバーホールが済めば、あとは10年くらい大丈夫だ、ということらしい。それを信じて、体からの悲鳴に耳を傾けながら、オーバーホールに励む日々である。
(大川 和良)
2024年春季号 vol.5
今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…
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