その六十二 バランスの妙技
先日、久しぶりに都内を歩いた。そして、平日夕方6時過ぎの山手線のラッシュアワーに遭遇してしまった。
朝の時間帯ほどではないが、大変な混雑である。ホームを移動しようと思うと、人の流れに乗って、時には隙間を縫い、はた迷惑にならないように気を使う。
そんな中、ホームの片隅にたたずむ、背広ネクタイのサラリーマン風の中年男性に目が止まった。
この男性、右肩に肩掛けカバンをかけ、左手にコップ酒、右手にチーカマらしきおつまみ、その腕には小さなコンビニのレジ袋が下がっている。その袋の中には酒とつまみのおかわりが入っているのだろう。
左手のコップ酒をひと口飲んでは右手のチーカマをかじる。
ホームで立ち飲みかい、家に帰るまで待てないのかね、などと思ううちに電車が入線してきた。
「今日も一日ごくろうさん。お先に。」と心の中でその男につぶやいて電車に乗った。
どうにか吊革を確保し、やれやれと見回すと、立ち飲み中年男も電車に乗っているではないか。
両手が塞がっている立ち飲み中年男は、もちろん吊革につかまることもなく、電車の揺れに身をまかせ、コップ酒を飲み、チーカマを食べ、帰路のひとときを楽しんでいた。その見事なバランスの妙技に思わず見とれてしまった。
その妙技とは対称的に、この侘しさは何と形容したらいいのだろうか。
ずいぶん昔、仕事帰りのサラリーマンが画板のようなテーブルを首から下げ、そこに酒とつまみを置いて、駅のホームで立ち飲みをしているという風刺マンガを見たことがある。めいめいがあっち向きこっち向きしながら、ひとり酒盛りをしている絵柄は何とも不気味なものであった。あれは、バブル崩壊後かリーマンショック後の時期だったのだろう。令和にも平成の影が射している。
その六十三 ああ勘違いー2
息子が小学生の時、学校のスポーツチームに入っていた。休みの日には毎週のように公式試合やら練習試合があった。その度に保護者の運転する車を連ねて近隣の学校へ出掛けていた。
ある日、男の子を4~5人乗せて通い慣れた道を走っていた。車内はワイワイ、ガヤガヤと賑やかである。するとこんな会話が聞こえてきた。
「あれ、おかしいな。あの釣具屋つぶれたって聞いたけど、まだあるよ。」
「俺、この間行ったら、玄関に閉店て書いてあったから、やってないはずだよ。」
「そんな訳ないよ。だって、まだあったもん。」
「バカだなお前は。商売やめただけで、ウチが潰れたんじゃねえよ。」
子供らしい勘違いで吹き出してしまった。
別のある日、他県まで長距離遠征があった。帰りは夕方になってしまった。たそがれ時、街の灯がちらほら点り出した頃である。畑の中にイルミネーションも賑やかにホテル群が出現した。
「うわー、お城みたいのがいっぱいある。」
「きれいだな。ディズニーランドみたいだよ。なんだろ。」
すると誰かが、
「あっホテルって書いてある。泊まってみたいな。」「あっ本当だ。いいな。」
などと子供たちは大騒ぎ。
この中にいつも冷静な秀才君がいた。
「バーカ、あれは普通のホテルじゃねーんだよ。」
「じゃ、何なんだよ。」
「・・・」
さすがの秀才君も友達の親父の前では説明に詰まり沈黙してしまった。
「おじさん。あのホテルは普通のホテルじゃないの?」
あっ来たな!と思った。そして、
「あはは、おじさんも行ったことないから分からん。」とシャレにもならない返事をしてしまった。慚愧に堪えない。
その子供たちも、もう30になろうとしている。彼らは自分の子供たちにそんな事を聞かれたとき、どんな答えを用意してるのだろうか。
(大川 和良)
2024年春季号 vol.5
今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…
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