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ザ・戊辰研マガジン

2020年1月号 vol.27

うた散歩 二本松少年隊

2020年01月06日 23:37 by norippe
2020年01月06日 23:37 by norippe

 2020年3月30日からNHKの朝ドラ連続小説『エール』がスタートする。
 『エール』は「栄冠は君に輝く(全国高等学校野球大会の歌)」「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」「闘魂こめて(巨人軍の歌)」などの応援歌の数々を作曲した、古関裕而(こせき・ゆうじ)氏と妻で歌手としても活躍した金子(きんこ)さんをモデルに音楽とともに生きた夫婦の物語を描いたドラマ。

 古関裕而を演じるのは俳優の窪田正孝、そして妻で歌手としても活躍した金子を演じるのが二階堂ふみ。二階堂ふみは大河ドラマの「西郷どん」や「軍師官兵衛」などで活躍した私の大好きな女優の一人だ。

 今年は待ちに待った東京オリンピックが開催される。復興五輪ともいわれるこの大会に、福島出身の古関裕而が作曲の「オリンピックマーチ」が流れるはずだ。

 「紺碧の空」「六甲おろし」「闘魂こめて」「栄冠は君に輝く」など、古関裕而が作曲した数は数えきれないほどある。スポーツに関した曲目が目立ち、清々しいイメージがあるが、古関の曲には表立って紹介されない曲もまた数多くあるのだ。

 古関は軍歌作曲の名手でもあり、戦時下最大のヒットメーカーであった。
~若い血潮の予科練の~の歌い出しの「若鷲の歌」
~あぁ、あの顔で、あの声で~の歌い出しの「暁に祈る」
~勝って来るぞと勇ましく~ではじまる「露営の歌」

 「愛国の花」「海の進軍」「英国東洋艦隊潰滅」「ラバウル海軍航空隊」「嗚呼神風特別攻撃隊」「比島決戦の歌」など数知れないほどあり、軍歌史に古関の名前は燦然と輝いている。

 古関は自伝のなかで、「露営の歌」は「大衆の心から生まれた曲で、軍の命令による軍歌ではなく戦時歌謡だったと言っている。
 朝ドラ『エール』ではこう言った歌をどのような扱いで物語を進めるのかが大きな見どころかも知れない。

 また、古関はこんな歌も作曲している。
 戊辰戦争で散った二本松少年隊を歌ったもので、曲名は「二本松少年隊」
 歌は同じ福島県出身の伊藤久男が歌っている。
 以前、白河で行われた「城フェスタ」で二本松少年隊の演舞があったが、その時に流れていた曲がこの曲であると言えば思い出される方もいるのではないだろうか。

 YouTubeで聴けますここをクリック



作曲家 古関裕而

 福島県には偉大な作曲家が多く、もう一人「花の二本松少年隊」を作曲した市川昭介氏がいる。市川昭介は国民的演歌歌手の都はるみを育てた作曲家で、最近では紅白歌合戦などで活躍の演歌歌手の市川由紀乃がいる。名前の市川は師匠である市川昭介から取ったと言われている。
 実は、市川昭介氏は私の大先輩なのだ。私の母校である郡山工業高校の機械科卒。
 市川昭介氏は母校のために「郡工讃歌」を作ってくれた。私達後輩は校歌とともにこの歌を歌ったものだ。


作曲家 市川昭介

 二本松少年隊の歌について、先日の福島民報新聞の「うた散歩」という記事が載っていたのでここで紹介しよう。

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うた散歩 「二本松少年隊」

二本松少年隊
唄=伊藤久男

戊辰戦争は、新政府軍と旧幕府軍によって一八六八(慶応四)年一月三日の鳥羽伏見で戦端が開かれた。
新政府軍は、三春藩を降伏させ、次の標的は二本松城であった。
落城すれば須賀川周辺に駐屯している同盟軍の仙台藩兵は逃げ場を失うため、戦場から離脱が始まった。そのため二本松藩は孤立無援の戦いとなった。
二本松藩は城兵の不足を補うため、出陣を嘆願する少年(十二~十七歳)と一度隠居した老人までも出陣する緊急体制を敷いた。
七月二十九日、少年隊は配属された大壇口の戦いで敗れ、二本松城も落城。少年たちは純粋な思いで戦ったが、花と散ったのである。
二本松少年隊のいわれは、一九一七(大正六)年九月十五日、旧二本松藩士らにより戊辰戦没者の五十回忌法要が行われた際に、十四歳で出陣した水野好之が「二本松戊辰少年隊記」という小冊子を作成して参列者に配布した。これを機に命名されたのである。

表題曲の一番では~風に乱るる前髪も/まだあど気なき美少年~、そして三番では~今は頼みの城もおち/轟く敵の鬨(とき)の声~と、けなげに戦った少年隊の勇姿が表現されている。
作詞野村俊夫(福島市出身)、作曲古関裕而(福島市出身)、唄伊藤久男(本宮市出身)によって一九五七(昭和三十二)年九月にレコードが発売された。


二本松城跡の県立霞ケ城公園
箕輪門前に「二本松少年隊群像」が設置されている

花の二本松少年隊
唄=こまどり姉妹

戊辰戦争における薩摩藩の指揮官野津道貫が「戊辰戦争第一の激戦であった」と後に回顧したのが、一八六八(慶応四)年七月二十九日の大壇口の戦いであった。この時、二本松藩の主力は城下に存在せず、老人や少年たちだけで大壇口を守っていた。
臨時編成の総勢二十五人の少年は、木村銃太郎に従い大壇口に出陣した。頑強に抵抗を続け、戊辰戦争中随一と言われる激戦を展開した。
西洋兵学に熟知した隊長直伝の砲撃技術で頑強に抵抗を続けて敵を苦戦させた。しかし、信頼する隊長も戦死し、十四人が戦死したと伝えられる。
作詞の野村俊夫(福島市出身)、は、郷土の歴史を俯瞰(ふかん)して~生きて男の児の名を汚さじと/散るも覚悟の稚児ざくら…今なお薫る/永久にほまれのさくら花~とたたえた。
この詞に新進作曲家の市川昭介(郡山市出身)が曲付けし、こまどり姉妹の切々とした歌唱で一九六二(昭和三十七)年六月にレコードが発売された。
市川昭介は歌手のカバン持ちをしながら独学。コロムビア専属作曲家として島倉千代子「恋しているんだもん」(一九六一年)でデビュー。都はるみを国民的演歌歌手に育てた名作曲家である。(敬称略、日本の歌研究家・山内繁)

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福島民報新聞記事


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