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2020年03月号 vol.29

私小説風 「小料理屋で呑む」

2020年03月02日 20:20 by date
2020年03月02日 20:20 by date

 小料理屋「会津・麦とろ」にて

 私の学生時代の事だから昭和40年代50年代になろうかと思う、当時のテレビではホームドラマ全盛時代であり数々の番組が放映されていた。その中で特に印象に残っているのはTBSドラマで「寺内貫太郎一家」である、そのドラマの出演者やストーリーが問題ではない。私はそのドラマに出てくるある場面に注目していた。
 ドラマの終盤時間に決まって登場するのが、小料理屋を舞台に美人女将さんを相手にカウンターで一人呑む男に注視していた。当時の私は学生でありながら酒を飲み始め、自分自身の酒の飲み方に自分で注文を付け、何事にもこだわりを持って酒を飲んでいた時分である。本当に今考えても生意気な学生であった、アルバイトで得た金で飲み歩き一人呑兵衛を決め込んでいた。学生ながらいっぱしの社会人のつもりである。
 小綺麗な小料理屋のカウンターで渋い壮年の男性が一人盃を傾けるテレビドラマのその姿に私は酔ったものだ、そして無頼を気取り世間に背中を向けて生きてきた渋い中年男が女将さんを相手に静かにお銚子を前に盃で日本酒を呑む、これこそが私の望む男の姿で、将来は絶対にこのような渋い男になるもんだと一人で決めていた。
 
 それから40年以上たち、私の年齢はその時分のテレビドラマで一人小料理屋での渋い男に近づいた、しかし長い間のサラリーマン生活で身に着いた習性は、私が思っていた無頼とは程遠く、かつ世間にも背を向けない実直な呑兵衛に育ってしまった。私のお酒の宴席はいつも明るく、仲間と騒ぎながらの楽しいお酒を呑む小市民の一人で落ち着いた。
 そして還暦を過ぎて私の人生環境も変わってしまった、子供たちはすでに独立して家を出てしまい、私ら夫婦が求めたマイホームには夫婦2人だけが残った。その夫婦2人の生活の中でどうして私が無頼を決めつけ小料理屋でひとり盃をかたむけられるだろうか。
 私は老人になっても仕事を持ったために、毎日朝早く出勤して夕方の決まった時間に帰宅する。その環境の中で女房は夕食を用意してくれている。そして夕食は決まって2人だけで晩酌をしながら過ごすという。
 どう見ても小市民のささやかな夕食風景である。そんな風景の中女房と話すのは、おそらく今の時間が夫婦にとっていい時間である。
無頼を決めた渋い男が小料理屋で世間に背を向けて一人で盃を傾ける、そんなあの時代の私の憧れはすでに消えてしまった。 

 近所の小料理屋はいずれ廃る

 近所の小綺麗な小料理店のカウンターで美人女将を相手に盃を重ねる男、身なりはこざっぱりとしているがその男の表情は陰がありうつむ、うつむき加減で寡黙にお銚子に手を伸ばしひとり盃にお酒を注ぐ、そのような近所の小料理屋で酒を飲むという憧れは消えたと書いた。
 だが、そのような近所の小綺麗な小料理はいずれ廃れて行くというのが私の持論である。

 近所の小綺麗な小料理を、駅前でもなく繁華街でもなく私たち庶民が暮らす市中にあると仮定しよう。すると近在の住民たちは夜になると自宅に帰り、家族や夫婦で夕食をすます、あるいは晩酌まで済ましてしまう。そういう生活こそが庶民の望むマイホームの生活だろう、しかし小市民はそういう生活では満足しない。手持無沙汰のご主人(男たち)は「ちょっと行ってくらぁー」との言葉を残し外出してしまう。でもこの言葉は江戸時代の職人たちの言葉である、現代であれば「ちょっと、行ってくる」であろう(大した差ではないが・・・)。
 「チョット行ってくる」、」この言葉で家族は男の行動を察することができる、「またあそこね」。
近所の小料理屋「おかめ」である、住宅地のしもた屋の中のお店である。それなりの暖簾と提灯が店頭に光っている、男が暖簾をくぐって店内に入ると近所のかつての幼馴染が呑んでいた。
「田吾作、おめー来てたのかー」
「清作っ、おめーも来たか―」という挨拶で今宵の宴会が始まる。
 ところが田吾作も清作もお腹がいっぱいである、なにしろ先ほどまで自宅で家族と一緒に食事して飲んできたのである。だからしてお銚子を注文しても盃を舐め舐めするだけで一向に進まない、かつ料理にしても自宅で食してきた後なのでなかなか食べることができない、しかるに軽いつまみが宴会の料理となる。
 地元の客はちびちびとお酒を飲む。
これでは小料理店は売り上げが伸びずない。自慢の料理の出番はなくホントに簡単な料理だけの小料理店になってしまう。これでは美人女将の腕の見せ所が無くなってしまう。
 そのようなことで近所の小料理店は、料理自慢が消えて簡単なおつまみだけの店になってしまう。そんな地元の客がゴールデンタイムの時間に店を占拠してしまうので、フリの客が入っても満足な料理は提供されずにいつかは常連客の憩いの場となってしまい、来てほしいはずの優良な客は足が遠のくのである。
 そして他の地元の客の与八郎が小料理店に入ろうとしても、「田吾作と清作がいるんじゃ・・」という理由で、それらの人は別の近所の小料理屋「すみれ」に入店してしまう。
そのような流れで、その地域では「おかめ」は田吾作派、「すみれ」は与八郎派のすみわけがはっきりして、他の近所の庶民はそれらの小料理店を敬遠してしまう。
 飲食店によくみられる「常連が店を潰す」、このことが市中の近所の小料理店の行く末である。

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