今から40年以上も前のことである、私は学生時代にサークル活動にのめり込んでいた。
私が大学4年生の時である、大学のサークルの4年生といえば学年の序列では最高位である。たとえて言われるのは「4年生は神様」であり1年生は「奴隷」であると。こういう言い方には誇張された部分もあるが、おおよそ当たっているだろう。18歳で入学した学生と22歳、あるいは23歳の学生では貫禄も違えば人生経験も違うはずです。そんなサークルの上下関係があって、新人(大学1年生)が入部してすぐの頃である、かわいい一年生が4年生の私に出身地の岩手県から貢物を持参したのである。私が日本酒好きだとどこかで聞いたらしく、帰省した帰りに地元で買ってきたらしい。
岩手県の地酒「あさ開き」である。
当時の私は日本酒は好きであったが銘柄にはこだわりはなかった、銘柄にこだわる知恵などなく単に日本酒がのめればよかった年頃である。「あさ開き」の由縁など知るすべもなく、岩手県=「あさ開き」という図式が出来上がってしまった。だから私の脳内では今でも岩手県の銘酒は「あさ開き」である。
株式会社あさ開き
岩手県盛岡市大慈寺町10-34
創業 明治4年 (1871年)
「あさ開き」の創業はそれほど古くなく、明治4年で約146年前のことである。当時の明治の始めという時代は、戊辰戦争で会津藩が開城したのが明治元年で、南部藩も秋田戦線から引き揚げたのも明治元年である。そして翌年の明治2年は南部藩家老・楢山佐渡が戦争の責任を取り斬首され、南部藩自体が仙台藩の南部の現在の白石市・角田市・亘理町方面に減転封された激動の時期であった。その転封は70万両の明治政府への上納金により、わずかの期間で盛岡に戻れた。明治4年の廃藩置県で南部県となり、現在の岩手県となった。
そのような激動の時期に南部藩士・村井源三は侍を辞めて商人となり、現在の盛岡市で酒造りを始めた。
「あさ開き」という名前は、万葉集に収められた和歌にちなんだもので、船が早朝に漕ぎ出す歌の枕詞である。江戸から明治への新しい時代に変わることと、自分自身の侍から商人に変わるという思いを「あさ開き」という名前に託したのではないだろうか。
その昔、私に「あさ開き」を献上した若き新人(大学1年生)は、「学生生活の幕開けです、よろしく願いします」という意味を込めたのだろうか。それを知ったところで今となっては「後の祭り」であろう。若き新人は良き学生生活を過ごした・・と私は思いたい。
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