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ザ・戊辰研マガジン

2019年1月号 vol.15

歩み始めた会津と長州

2019年01月05日 11:34 by norippe
2019年01月05日 11:34 by norippe

 今から7年前のこと、1台の大型トラックが会津にやって来た。一見、派手な絵柄を描いたトラックであったが、なぜかそのトラックは目立とうという動きはなく、静かに、そしておそるおそるやって来たのだ。ボディには明治維新、吉田松陰、城下町萩などの文字が書かれていた。乗り込んで来たのは山口県萩の14トン大型トラックであった。なんと、明治維新をアピールするトラックで会津入りして来たのだ。
 さて、このトラックを見た会津の人々は、戊辰戦争の恨みつらみをどう対処するのか?槍も鉄砲もない。さあ大変だ!長州と会津の戦いがまた始まるのか。

 実は、これは戦いではなく、未来を切り開く交流の始まりの序章だった。遠く離れた山口県萩市と会津若松市、知る人ぞ知る150年前はお互い敵として戦った相手。150年経った今でもその遺恨は残る。萩に対して複雑な思いを抱いている会津の人は多いのだ。しかし、このトラックはその敵対心を払拭する思いでやって来たのだ。萩のJAと会津のJAがお互いの絆を紡いだという話がここから始まる。

 福島県農協中央会最高顧問の庄條徳一さんは、山口と会津の交流をなんとか実現したいと考えていた。「付き合いを拒んでもプラスにならない、前に進めないのはお互いに不幸」自分が取り組む農業でまず出来る事から始めたいと考えていた。
 平成23年3月4日、萩のJAに一枚のFAXが届いた。福島県農協中央会の庄條さんからのFAXだった。会津と萩の交流を求める内容であった。そして山口の萩で話し合いの場を持つことを確約したのである。

 しかし一週間後の3月11日、福島を未曾有の大災害が襲ったのだ。東日本大震災である。
 震災発生から12日後、この震災で大変な中を会津の一行は萩に姿を見せたのだ。JAあぶらんど萩の組合長水野俊男さんは驚いた。この大震災で交流のための会議は1年位は延期になるのではないかと思っていた。ところが会津一行が訪問してきたのだ。
 「会津の男は約束を絶対守る」といってやって来たのである。会議がはじまり、そして萩は会津を全面的に支援すると誓った。大変な中を萩まで来られ、萩の人間として誠意で応えるべきと水野俊男さんは思ったのだ。

 その後、JAあぶらんど萩では14トンの大型トラックを用意したのだ。ふぐ鍋1300人分、水や支援物資を積み、はるか離れた会津若松市へ向かったのである。


支援物資を満載に積んだトラックと水野さん

 トラックは明治維新の功績をたたえる派手なデザインであった。そのトラックで会津に乗り着けるのには正直抵抗があった。
 4月上旬、トラックは会津へ到着。そしてトラックの運転手は、会津の人々の心を逆なでしないよう、会津若松の中心の市街地に駐車するのを避けたのである。900Kmの道のりを2日かけて届けられた支援物資に、会津の人々は心から感謝をした。温かい「ふぐ鍋」に会津の人々の心も体も暖まったのである。
 そしてトラックは、会津の特産品を買い求め、それを満載に積んで帰路についたのである。持ち帰った会津の特産品は山口で販売し、その益金150万円を義援金として会津に贈ったのだ。またそれとは別に義援金2200万円も贈られていたのだ。


支援物資を降ろしているところ

 「歴史を作りなおすことは出来ない。しかし今から新しい歴史を作っていくことは出来る。」と萩の組合長水野俊男さんは言う。この両JAの交流は更に活発になり、今度は2013年(平成25年)に山口県が豪雨災害に遭った時には、合併前のJAあいづが飲料水などをあぶらんど萩に送ったのだ。

 東日本大震災から7年、この災害を機に始まった会津と萩のJA交流は実を結んだ。そしてお互いの地域に出向き、それぞれの特産品を販売する物産展を開くようになったのである。また、未来を担う若い世代の交流も始まった。会津の若い人達が萩にある松下村塾を訪れ、萩の歴史を学んだ。萩の20代の若い人達に聞いたアンケートによると、半分の人は会津が戊辰戦争で戦場になったことを知らないという。萩の図書館では、会津の歴史を学べるコーナーを設置し、若い人達にももっと会津の歴史を知ってもらうよう努力をしているのである。


会津コーナーに置かれた本の数々


星先生や戊辰研の本が並んでいる

 そして150年の節目の昨年8月11、12の両日には、会津よつばの五十嵐孝夫専務らが萩の直売所で会津の新鮮な野菜や加工品などを販売した。あぶらんど萩の水津俊男組合長が応援に駆け付けた。「戊辰戦争150年を機にさらに交流を深めたい」とするJA会津よつばと、「合併前に会津よつばとの絆を強くしたい」とするJAあぶらんど萩の考えが一致し、協定締結にこぎ着けたのだ。
 会津よつばの長谷川一雄組合長は「過去にとらわれず未来を見て行動すべきだ。互いにまちづくりにつなげたい」と意欲を見せた。震災時に会津に駆け付けたあぶらんど萩の田村稔保参事も「150年前にあったことは事実として知らなければならないが、災害の際は助け合ってきた。販売分野などで会津よつばの利点を吸収したい」と話していた。
 会津若松市に本店を置くJA会津よつばは昨年の11月22日、山口県萩市に本店があるJAあぶらんど萩と相互交流協定を結んだ。互いに年一度のペースで訪問し、それぞれの直売所で特産物を販売するほか、大規模災害発生時には助け合う事を誓ったのだ。
 協定に基づき、両JAの関係者が互いに直売所を訪問し、会津特産のキュウリやトマト、アスパラガス、萩特産の夏ミカンなどのかんきつ類、スイカ、海産物などを販売。産品の魅力を発信しながら、直売所の運営手法や効果的な販売方法を学ぶ。役職員の行き来も活発化させ、販売戦略や営農指導などの情報交換を進め、地震や水害など大規模災害が発生した際は食糧や飲料水を提供し、炊き出しなどに当たることを想定している。
 調印式は会津よつば本店で行われる。あぶらんど萩を含む山口県の全12JAは合併して今年4月にJA山口県が誕生するが、協定の内容は合併後の新JAにそのまま引き継がれるとの事。

 会津若松市では、戊辰戦争で西軍(新政府軍)として会津に攻め込んだ地域の関係者と関係改善を模索する民間の動きがある。 一昨年11月には会津藩校日新館の宗像精館長が萩市で講演し、複雑な歴史を踏まえ将来を考える必要性を提言した。昨年の5、6の両月は囲碁のタイトル戦「第七十三期本因坊戦」の関連企画として福島、山口両県の歌人が萩と会津若松を相互訪問し歌を紡いだ。9月には会津信用金庫(本店・会津若松市)と鹿児島相互信用金庫(本店・鹿児島市)が会津若松市で両地域の若手経営者を交流会を催した。
こうして少しずつではあるが、戊辰戦争で戦った敵国との関係改善が模索され、交流が活発化している。そしてお互いの地域に出向き、それぞれの特産品を販売する物産展を開くようになったのだ。


ハッピが仲良く並ぶ物産展

 萩は「JAあぶらんど萩」、会津は「JA会津クローバー」
 JAあぶらんど萩の「あぶらんど」という名前には、豊かな自然に恵まれた大地の恵みがいっぱいの阿武の国(Abu-Land)で、丹誠込めて生産したJAあぶらんど萩ブランド (Abu-Brand)の中でも、より「安全・安心・美味しい」、え~ブランド品(A~Brand)を消費者に提供するという、生産者とJAの意志が込められている。

 一方、JA会津よつばの「よつば」は「四つ葉のクローバー」のことかと思う。何故「よつば」なのか調べてみたが、どこにもその名前の由来は出てこなかった。
 四つ葉のクローバーは幸運をもたらすものと伝えられている。三つ葉のクローバーも幸運をもたらす力があると信じられているが、四つ葉のクローバーには更に強い力があると言われている。それぞれの葉は「信仰・希望・愛・幸運」をあらわしている。幸せや愛を農業から育もうといった意味が込められた「会津よつば」なのではないだろうか。

(記者:関根)

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