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ザ・戊辰研マガジン

2019年1月号 vol.15

昔は肉と言ったら鯨肉だった

2019年01月05日 11:33 by norippe
2019年01月05日 11:33 by norippe


クジラ

 私が小学校に入る頃まで、肉と言ったらそれは鯨肉のことだった。赤黒い色をしたゴムのような肉で、硬くて歯で食いちぎり苦労しながら食べた思い出がある。我が家では牛肉も豚肉もない、ソーセージと言ったら魚肉ソーセージの事だった。

 小学校1年の時、母が私達男三人兄弟を連れて東京へ上京した事があった。福島県須賀川市から蒸気機関車の旅だった。汽車に乗るなんて初めてのことだったので、兄弟3人は大はしゃぎ。汽笛を鳴らし黒い煙を吐いて東北本線を東京へと向かった。途中、栃木県の黒磯駅から蒸気機関車は姿を消して、電気機関車に入れ替わっていた。関東の鉄道は電化されていたのだ。
 東京へ行く目的は母親の里帰りだった。最初に向かったのは自動車整備工場を営んでいた母の兄のところだった。母の兄の家は裕福で、応接室には立派なソファーが置いてあり、私達兄弟はフワフワのソファーに大騒ぎで飛び跳ねた。私はイナゴを食べて育ったせいか、飛び跳ねるのが得意だった。勢いよく飛んだのでソファーのシーツが「ビリビリッ!」大きく破けた。すぐに母親の顔を見た。顔に青筋が立っていた。
 その日の夕飯はカレーライスが出てきた。食べた事もない美味しそうな豚肉がたんまり入っていた。いつも食べていた鯨肉とはまったく違っていた。我が家のカレーライスは、じゃがいもとニンジンと玉ねぎ、そしてたまに丸善の魚肉ソーセージが入っているくらいだが、ここのカレーは違っていた。カレーそのものが艶々していて、何といっても豚肉がいっぱい入っているのが凄かった。
 私は肉を丁寧にどかしてカレーを食べた。私の上の兄二人は美味いものはさっさと先に食べる性格なのに対し、私は美味しい物は後から食べるといった貧乏な性格であった。すると、おばちゃんに「あら?お肉、嫌いなの?」と言われ、どけて置いた肉を全部取り上げられてしまったのだ。大切に取って置いた肉を取られた私は、顔が硬直し、スプーンを握っていた手の動きが止まった。そして大声で泣きわめいたのだ。「それは俺の肉だ!」(これは母親が語った話で、私は小学1年なので記憶はうる覚え)それがトラウマとなって、現在の私は、美味しい物は先に食べるようになったのである。


東京のおじさんに買ってもらったジャンバーを着てご機嫌な兄弟3人

 鯨肉はもう何年も食べていない。しかし食べる必要もない。牛肉や豚肉など美味しい肉がいつでも食べれるようになった今、鯨を食べる理由がまったく見当たらない。

 さてここからは世界を巻き込んで騒がれている捕鯨問題。昨年の12月に日本はIWC(国際捕鯨委員会)からの脱退を表明した。捕鯨国と反捕鯨国が激しく激突し、それぞれの意見がぶつかり合うなか日本はIWCを脱退する決断を下した。
 昔はどの国も鯨を取っていた。もちろん日本も捕鯨は盛んだった。覚えているだろうか。プロ野球の球団「横浜DeNA」、以前は「横浜ベイスターズ」であったが、更にその以前は「大洋ホエールズ」という名前だった。ホエールとは鯨の事である。鯨を取って事業を成していた水産会社が所有していた球団なのだ。

 150年前、ペリーが日本にやって来て、その後の日本が大きく変わった。ペリーが日本に来た目的は、日本近海で捕鯨をするのに食料や水が必要だったからと言われている。他国の捕鯨は主に鯨油(げいゆ)を取るのが目的で、食糧としての目的はなかったのだ。鯨油は街灯の燃料として使われていた。
 しかし日本は違っていた。鯨の多様な用途は鯨油を灯火用の燃料にしたのは勿論だが、1670年に筑前で鯨油を使った害虫駆除法が発見されると、鯨油は除虫材としても用いられるようになった。また肉を食用とする他に、骨やヒゲは手工芸品の材料として用いられていた。ありとあらゆる部位が食用として用いられる中、軟骨も食用に、毛は綱に、皮は膠に、血は薬に、採油後の骨は砕いて肥料に、マッコウクジラの腸内でできる凝固物は竜涎香として香料に用いられたのだ。

 1948年、IWCが発足し「捕鯨国」も参加したが、石油が手に入るようになってからは捕鯨の必要がなくなり、環境保護を叫び捕鯨に反対するようになったのだ。日本は反捕鯨国からの反発もあって、商業捕鯨に制限をかけられてしまった。そして現在は調査捕鯨という形で動いているが、その調査捕鯨の目的は、鯨の数を把握し、胃の内容物から何を食べているのかを確認する事。鯨は人間が消費している量の4倍の魚を食べているから、鯨の数を調整する必要があるとの言い分である。
 反対国の言い分は、調査捕鯨といいながら鯨を食べているではないか。これは商業捕鯨と変わらない。鯨を取ることに倫理的観点から見て違反している。反捕鯨国は動物愛護の上でも鯨は取るものではなく、ホエールウォッチングなどで見て楽しむものだとしている。しかし、動物愛護だから鯨を殺して食べてはいけないと言うのなら、牛や豚やニワトリはどうなのだ。反捕鯨国は平気でそういった動物を殺して食っているではないか。それは家畜だからいいのだという言い分は成り立たないのではないか。鯨は殺された時に涙を流すという話を聞いた事がある。牛だって豚だってそれは同じだ。死にたいと思う動物なんていない。死にたいと思うのは人間くらいなものだ。
 捕鯨は日本の伝統文化に基づくもので、日本の漁師は何百年にもわたってクジラを捕獲してきた。何を食べていいか悪いかを外国人に指図されるいわれはない。というのが日本政府の考えだ。

 あるニュース記事のなかで、なぜ日本は捕鯨を続けるのかという記者の問いかけに、こんな政府高官からの応えがあった。
 「南極海の捕鯨は日本文化の一部ではない。国際的なイメージがとても良くないし、鯨肉に対する商業的な需要もない。あと10年もすれば、遠洋捕鯨は日本から姿を消すだろう」。
「それならなぜ今止めないのですか」と言う問いかけに高官は「今は止めにくい、重要な政治的理由がある」と述べ、それ以上語らなかった。
 日本の捕鯨は政府が行っていて、研究予算や毎年の計画、出世や年金がかかった官僚の大きな構造が作り上げられていると言った理由があるのだろう。官僚は自分がトップを務めている間に担当者が削減されたりするのは、非常に恥ずかしいことだと思っている。そのため官僚はほぼ全員、捕鯨関連の部署をどんなことをしても維持しようとする。政治家もそうだ。自分の選挙区が捕鯨と強いつながりのある場所なら、商業捕鯨の再開を約束するだろう。議席を守るために。しかし、日本が捕鯨を続ける決意が固いのは、捕鯨関係者が多い選挙区から選出された数人の国会議員と、予算を失いたくない数百人の官僚たちのせいと言えるかも知れない。事実、山口の下関、和歌山の太地は特に捕鯨に歴史のある盛んな場所である。安倍首相は山口県、そして二階自民党幹事長は和歌山県出身。捕鯨は政治家に操られていると言っても過言ではないのだ。

(記者:関根)


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