「龍雲院」
る-ぶる仙台⑥仙台城址から次の訪問地「龍雲院」には⑫大崎八幡宮前で下車し、 大崎八幡宮の近くだとの情報を得ていましたので、取り敢えず八幡宮にお詣りして、社務所で聞いてみることにしました。
政宗が育んだ”伊達”な文化「大崎八幡宮」 慶長十二年(1607)に伊達政宗により造営。 信長、秀吉が築いた安土桃山時代の現存最古の権現造で、総漆喰、極彩色、飾金具による豪華で流麗な桃山様式で、 政宗の志向を表わす、”伊達”な文化を最も代表する建造物で、社殿は明治36年(1903)に国宝に指定されているそうです。
バス停前からすぐ、石造の鳥居をくぐり石段を上って行きますとその上にまた、赤い鳥居が現れ、参道が続きます。 参道沿いの杉木立が森閑とした雰囲気を漂わせていました。
お参りを済ませた後、社務所にて「龍雲院」の場所を訪ねたところ、上記はちまんぐう散策まっぷを戴き、 親切に教えていただきましたが、そんなに近くではなく、結構な距離だそうです。 時計を見ると四時を少し回っていました。
11時過ぎに仙台空港に到着。仙台空港アクセスにて仙台駅へ、地下鉄で広瀬通のホテルに荷物を預け、近くのインド料理店にて昼食、ホテル前の広瀬通バス停⑯からる-ぷるバスに乗車。出発点①仙台駅に戻り~④瑞鳳殿前~⑥仙台城址~⑫大崎八幡宮へと廻り、 さすがに、いささか疲れが出て参ったようでした。
仙台のよい所は幹線道路ではタクシ-が結構走っており、あまり苦労なく拾える点かと思います。 今回の旅行では何度かお世話になりました。 ということで八幡宮前からタクシ-で750円の距離の龍雲院に到着しましたが、住宅地の中にありましたので、 帰りのタクシ-が拾えるような場所ではなかったため、運転手さんに、5分ほどで帰ってきますので待ってて貰えませんか?と交渉設立。 早速、墓所に直行しました。
「金台山龍雲院」仙台市青葉子平町19-5 慶長二年(1597)に伊達政宗公により開山。
幕末フアンにとって、仙台に来たならば、どうしても見ておきたい場所の一つとしてのこのお寺「龍雲院」には戊辰戦争の際、負け戦の奥羽越列藩同盟軍にあって唯一、 仙台藩士として縦横無尽の活躍をした伝説の勇士細谷十太夫直英の墓があることを知り、やって来ました。
「細谷地蔵」~細谷十太夫(1845~1907)と「烏組(からすぐみ)」~ 1868年の戊辰戦争の際、仙台藩の大番士であった十太夫は密偵として二本松にいたが、 五月一日の白河城攻防戦の敗戦を聞くや官軍と戦うため須賀川で民兵を募集。博徒、侠客等五十七人が集まった。 「衝撃退」と名付けたが、黒装束をまとっていたことから「烏組」と呼ばれるようになり、 後には実際に烏を連れ歩いたといわれ、隊旗にも烏を描いた。 槍と刀を武器に夜襲を得意とし、三十余戦ことごとく勝利を収めたといい、その勇猛果敢な戦いぶりは 「細谷からすと十六ささげ、なけりゃ官軍高枕」とまでうたわれ恐れられた。
戦後、十太夫は陸軍少尉として西南戦争に従軍、また県吏員、牡鹿郡大衛道開拓場長として士族授産事業にかかわり、 さらに日清戦争にも軍夫千人長として参加するなど多方面に活躍した。 晩年は、仏門に入り、かねて敬慕していた林子平の墓所・ここ龍雲院の住職となった。 墓は本堂西側にあり、この座像はその十太夫の姿であり「細谷地蔵」という。
説明板より
関西に住む者にとっては、よほど幕軍フアンでなければ、よく知らない人物だと思うのですが、 何と面白く興味を惹かれる人物なのでしょう。早速、早乙女貢「からす組」を購入し、読んでみようと思います。 そして、十太夫が尊敬する「林子平」墓所がひと際目立ちます。
私にはよく知らない人物でしたが、何でも寛政の三奇人とも謂れ、徳川三百年の鎖国政策の夢醒ますべく、 日本の進むべき道を説き、晩年有名な六無斎の歌を残し、1793年56才で歿すとあります。 六無斎とは仙台藩士林子平の号 歌は自作の和歌のことで、 「親も無し 妻無し 子無し 板木無し 金も無ければ死にたくも無し」
寛政の三奇人とは高山彦九郎、蒲生君平、林子平のことで江戸時代後期の経世論家で、「奇」は「優れた」 という意味だという。幕府の海防策を批判した「海国兵談」は処罰を恐れどこも出版を引き受ける所がなかったため、 ならばと自分で版木を彫って自費出版するも、幕府ににらまれ版木を没収され閉門、そのまま死を迎えたという。 なるほど、硬骨漢であったのですね。
龍雲院にはもう一人の著名人「昭和の作曲家万城目正」のご先祖が菩提寺としておられます。 私とばあばがよく知っているのは、並木美智子の「りんごの歌」をはじめ美空ひばりの「越後獅子、悲しき口笛、東京キッド」 島倉千代子の「この世の花」などですが、今の若い人はほとんど知らないでしょうね(笑)
もう少し時間が欲しいところでしたが、あまり、タクシ-を待たせるわけにも行きません。 もとの大崎八幡宮前まで戻って貰い、る-ぷるバスを待って広瀬通まで乗車。
ホテルに入ったのが、5時30分。 ホテルまで来てくれた娘夫婦と孫たちとともに「本場牛タン」を食べに出掛けました。
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