仏都会津では、平安時代初期、「磐梯山」には魔物が住んでおり、いつも霧に覆われていたため作物が育たず、人々に病気が蔓延していたそうです。そのことを聞きつけた弘法大師(空海)が会津に駆け付けて魔物を退散させたそうです。無病息災、五穀豊穣などが続くように5体の薬師如来を造り始めましたが、完成する前に帰ってしまいました。そこで、大同二年(807年)に、徳一大師によって薬師如来像は完成され、五堂に安置され「会津五薬師」と呼ばれておりました。そのうち、薬師如来像が現存しているのは、湯川村の勝常寺と会津坂下町の上宇内薬師堂で、平安時代初期の作です。
上宇内薬師堂・木造薬師如来坐像(会津坂下町)
会津坂下町の上宇内薬師堂には、会津五薬師のひとつ「西方薬師」ご本尊があり、「薬師瑠璃光如来」と呼ばれております。徳一の創建とされる会津五薬師の一つであり、国指定重要文化財に指定されています。一木造りの坐像で、堂々とした体躯と優しげな表情が特徴です。薬師堂は道安により元禄4年現在地に再建・再興され、堂内には日光・月光菩薩立像、聖観音像菩薩立像、十二神将五躯も安置されています。私は参謁しましたが、まさに心が洗われるようなお姿で穏やかな気持ちになりました。
また「会津五薬師」ではありませんが、喜多方市の中善寺には、素晴らしい木造薬師如来坐像が現存しております。
中善寺・木造薬師如来坐像(喜多方市) は、現存する会津の仏像の一つで、薬師堂にある木造薬師如来坐像は藤原文化の面影を伝える傑作(国指定重要文化財)です。平安時代後期の作であり、当時の都である京都方面の仏像様式・定朝様(じょうちょうよう)で造られていることから、中央から会津に運ばれてきたものと考えられます。
会津は本当に奥が深いです。私は、残念ながら喜多方市の中善寺を訪問しておりませんが、仏都と呼ばれる由縁がこれらの仏像が現存することだと思います。皆様も機会がございましたら参謁して頂ければ幸いです。
【記者 鹿目 哲生】
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