神風連の乱関連史跡
まだまだ気分は「西郷どん」ということで、2018年秋に熊本の幕末史跡を巡った時 の紀行文を掲載します。 熊本は大地震に見舞われ、本当に大変でしたが、復興に向けて、県民の皆様、頑張っ ておられました。
熊本城の写真です。危険とのことで、お城に近づくことはできませんでした。 お城は山の上にあり、市民の皆様は、この痛ましい城を日々眺めておられるわけ でして、一日も早い復興を願います。
桜山神社 熊本市中央区黒髪5-7-57
「西郷どん」で、ちらっと、熊本の士族たちが起こした反乱、神風連の乱が出てきま した。 この乱は、林 桜園(おうえん)という国学・神道を教えた先生の弟子たち(勤 王党)の中で明治政府に強い不満をもつ士族が起こしたものです。直接的には廃 刀令に反発して、挙兵するに至りました。乱に関わった人たちの子孫が、明 治18年に設立したのが桜山神社です。
神社の中には神風連資料館があり、見ごたえがあります。乱関係者の資料が豊富に 展示されていました。写真もOKでしたので、ご紹介します。乱関係者の刀です。
宮部鼎蔵は桜園の弟子で、宮部が吉田松陰とともに奥州を旅した際、宮部の背負子 (しょいこ)の板に松陰が書いた漢詩が展示されていました。
松陰の書と手形も見れます。
神社には宮部鼎蔵の歌碑や、桜園、宮部、河上彦斎、神風連の乱関係の人々の 墓所がありました。
河上は「るろうに剣心」の抜刀斎のモデルとも言われる人物ですが、佐久間象 山を暗殺したと伝わります。和歌を詠んだようで、資料館で歌集が販売されてい ました。河上彦斎は変名で、本名は高田源兵衛とのことです。大した罪も無く、 明治4年に刑死しました。明治政府にとっては、生かしておけない人物だったの でしょう。
桜山神社は熊本中心部からバスで行けるので、幕末好きにはお薦めです。
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