その四十八 カラスの一撃
先日カラスに襲われた。
朝の通勤時、いつものように健康のため一駅手前で電車を降り、線路の高架下に沿って幅広くとられた舗道を歩いていた。梅雨の晴れ間が気持ちよかった。
私の前を数人の人が歩いている。カラスがその人たちの近くを低空飛行で飛び回っている。このあたりでカラスは良く見かける。いつもとちょっと違うかなと思いながらも、前を行く人たちと同じように歩いていた。
時折カラスの羽音が聞こえ、その羽風を感じるほどに近くを飛んでいる。
するといきなり後頭部をガツンと殴られた。「何するんじゃ!」と後ろを向いたが誰もいない。ただ、カラスが飛び去っていく姿が見えた。
衝撃の大きさから、カラスが急降下してきて何かを頭に落としていったのかと疑った。しかし、周りを見ても何も落ちてない。かぶっていた帽子を見ても何もついてない。
そうこうしているうちに、さらに攻撃をしかけてくるので、とりあえずその場を逃れた。離れた位置から他の人の被害状況を確認するが、特に襲われている様子もなかった。
職場にたどり着きネットで検索する。カラスに殴られたという報告が山ほどあった。子育て中のカラスが人を襲い、殴ることは珍しくないようだ。この時になってはじめてカラスに殴られたと分かった。特にカラスは黄色い色に敏感らしく、黄色いリボンをつけていて殴られたという報告があった。
私はその時ベージュの帽子を被っていた。黄色と言えなくもない。近くを歩いていた人の中で、私だけが被害を受けた原因はこのあたりにあったのかと納得した。
それにしても、あんな小さな体で、よくあれだけの攻撃力を秘めていると感心した。見たわけではないが、急降下して足で蹴飛ばしていくようだ。小学校低学年くらいの子供なら転んでケガをすることもあるかもしれない。
教訓。子育て中のカラスには近寄らないことである。
職場でホッと一息つき「ともかく、ケガなくて良かった。」と頭を撫で回したのだった。
その四十九 うんの付き
土曜日の夜9時30分、いつものように卓球部の練習を終え、「お疲れ様」と雑談をしながら練習場となっている広間を出た。玄関に出るとガラスの引き戸が開け放しになっている。
「誰だよ。玄関開けっぱなしにしてるのは。」
「普段こんなことないのにね。」
ぶつぶつ言いながら、それぞれに玄関で靴を履き替える。
練習場となっているのは団地の集会所の板敷きの広間である。広間は玄関を入り両側に部屋のある廊下を突き当たったところにある。玄関を入ってすぐ右に行った先にはトイレがある。
トイレの方から「なんじゃこりゃ!」と声が聞こえた。
玄関からトイレまで数メートルの間に、10円玉大の「物(ブツ)」がポタポタと落ちている。
さらに玄関の外から「こっちにもある。」と報告があった。外の「物」は中よりも二倍ほど大きい。
この「物」が血痕ならば、すわ事件かと110番通報であるが、残念ながら血痕ではなかった。事件性はなさそうである。事故として処理することになった。
いったい何があったというのだろう。「物」を放置して行った人物に、のっぴきならない事態が発生したのだろう。
「ヨッパライだね。飲みすぎて家までもたなかったのかもね。」
「でもパンツはいてなかったのかな。」
「いま流行りの越中で、隙間から落ちたんだよ、きっと。」
大爆笑のうちにあれこれ推理するが、これといった名推理も生まれず、謎は深まるばかりであった。
犯人にとっては大事件であったろうが、人騒がせなことである。放っておくわけにもいかず、卓球練習のあとは深夜のトイレ掃除という情けない事態に陥ったのだった。これこそ運の尽きである。
その五十 呪われた七夕
私の住む団地では、例年7月に入ってすぐの日曜日に七夕まつりが開かれる。自治会の有志が近所の竹林から短冊を吊る大きな竹を1本もらってくる。竹の調達が最近では困難になってきているという話を聞いた。
七夕まつりで近所の女性が昔の七夕の話をしていた。
小学生の頃、短冊に願い事を書いた。60年も昔のことである。子供たちはみな毛筆に墨を含ませて書いたのだ。硯で墨を摺るために、芋の露を集めて回る。早朝、近所の畑に出るとサトイモの葉の上に露が玉になっている。これを一つ一つ硯に集める。そんな優雅な風習があったと、なつかしそうに話していた。
俳句歳時記をみると「芋の露」は「七夕」とともに秋の季語となっている。以下のような句もあった。
《いもの葉の露や銀河のこぼれ水〈自笑〉》
夢中で芋の葉の露を集めて回る少女の姿が目に浮かぶようである。
ところが、である。私の故郷(栃木県小山市)には七夕まつりがなかったのである。
小学校で七夕まつりをやったような記憶があまりない。家庭でも「この辺では七夕まつりはやらない」とつれなかった。
下野(しもつけ)小山氏の祇園城が落城したのが七夕の日だったという。「呪われた七夕」(「小山の伝説」第一法規出版)という伝説がある。
天正18年、秀吉の小田原攻めに際し、小田原方に味方し、秀吉に攻められて落城したのが七夕の日だったそうだ。その際、濃霧のなかで物見がモロコシ畑の穂先を敵の大群と勘違いし、城士たちがうろたえてほとんど戦わずに落城してしまったというおまけもついている。
呪われた七夕伝説。ちょっと情けないけど、人間味があっておもしろい。
七夕が巡ってくるたびに「なんで七夕やんねーんだんべ。」と思っていた少年時代。こんな事情があったのだ。
(大川 和良)
指名手配
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