新緑シーズン到来ということで、猪苗代の中ノ沢と郡山の磐梯熱海を結ぶ難所と呼ばれた【母成峠】へ
ここ母成峠は、もともと関ヶ原の戦いの前夜の慶長5年(1600)に上杉景勝によって築かれた防塁から始まります。
幕末に至り、戊辰戦争の戦線が東上するにあたり新政府軍を迎え撃つために、会津藩が同じ場所に陣を築きました。
※幕末の防塁は、土塁・塹壕・砲台などで構成されています。特に、塹壕は、全長384mからなるようですが、この時期、熊が出るかもなので、鈴無し軽装のため山にinするのはやめました。度胸無くすいませんm(_ _)m
さて、戊辰戦争においては、大鳥圭介率いる伝習隊、土方歳三率いる新撰組など800人の旧幕府軍と板垣退助、伊地知正治率いる約3000の新政府軍の戦い(母成峠の戦い)の舞台となります。
午前9:00頃……濃霧の中……砲撃で始まる。。
続く
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