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ザ・戊辰研マガジン

2020年08月号 vol.34

相撲史上最大の復活優勝

2020年08月05日 23:33 by norippe
2020年08月05日 23:33 by norippe

 2016年の11月に、戊辰戦争研究会は東京両国で集会を開いた事があった。江戸東京博物館を見学し、勝海舟の生誕地や回向院を訪ねた。


回向院にある鼠小僧の墓をお参りする戊辰研の会員さん達

 両国といえば真っ先に思い浮かべるのが相撲である。江戸時代の相撲の歴史はここにあり、両国の「回向院」で「勧進相撲興行」が行われていた。明治42年の旧両国国技館が完成するまで「回向院相撲の時代」は続いたのである。回向院にある「力塚」は昭和11年、その象徴として、そして歴代相撲年寄の慰霊碑として建立されたものである。


回向院にある力塚碑

 相撲は国技といわれる日本の伝統文化である。その起源、源流を辿っていくと、神話の時代にまで遡ることになる。日本の文化に深く根ざし、いつも人々の生活とともにあった相撲は1500年以上もの歴史がある。相撲はその年の農作物の収穫を占う祭りの儀式としても毎年行われてきた。これが後に宮廷の行事となり300年続くことなる。
 鎌倉時代から戦国時代にかけては武士の時代。武士の戦闘の訓練として盛んに相撲が行われた。織田信長は深く相撲を愛好し、元亀・天正年間(1570~92年)に近江の安土城などで各地から力士を集めて上覧相撲を催し、勝ち抜いた者を家臣として召し抱えたのだ。
 江戸時代に入ると浪人や力自慢の者の中から、相撲を職業とする人たちが現れ、全国で勧進相撲が行われるようになり、江戸時代中期には定期的に相撲が興行されるようになった。やがて谷風、小野川、雷電の3大強豪力士が出現し、将軍上覧相撲も行われ相撲の人気は急速に高まり、今日の大相撲の基礎が確立されるに至ったのである。
 相撲は歌舞伎と並んで一般庶民の娯楽として大きな要素をなすようになった。大相撲は、長い歴史の中で次第にルール化され、洗練され、様式化されてスポーツとしての形態を整え、我が国固有の伝統文化となったのである。

 新型コロナウイルスの影響で、休業や無観客試合が続いた大相撲であるが、どうにか感染予防を施し少数ではあるが観客を入れての相撲が7月場所に始まった。

 この7月場所を制したのは何と幕尻の力士「照ノ富士」であった。もっとも、照ノ富士は大関経験者で、横綱候補と期待されたのであるが両膝のけがや内臓疾患などに苦しみ、幕下序二段まで転落したのである。
 「5回くらい伊勢ケ浜親方に辞めさせてくださいと伝えた」と気持ちが切れそうなこともあったが、周囲の励ましを力に現役を続行。体調が戻るとともに番付も戻して今場所、2018年初場所以来の幕内復帰を果たした。場所前に「いい相撲を見せて頑張りたい」と意気込んでいた元大関。コロナ禍により観客の上限2500人という異例の場所を、感動の復活優勝で締めたのである。史上最大の復活優勝であった。
 「続けてきてよかったです。いろんなことがあったですけど、こうやって笑える日が来ると信じてやってきました。一生懸命やったらいいことがあると思って。1日1番なので、前向きで取っていきました。イケイケの時に優勝していますから、今は慎重に取っています。落ちている時も応援してくれる方々、みんなが支えてくれた人たちがいたから恩返しようと思って…」と照ノ富士は語った。


師匠である伊勢ケ浜親方から優勝旗を受け取る照ノ富士

照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお)、本名は「ガントルガ・ガンエルデネ」
1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市で生まれた。身長192センチ、体重180キロ。

しこ名は入門直後は当時の師匠・間垣親方(第56代横綱・2代目若乃花)が大関まで使っていた「若三杉」から取った「若三勝」。伊勢ケ浜部屋転籍後に部屋の大先輩、第38代横綱・照国と、師匠・伊勢ケ浜親方の第63代横綱・旭富士からもらった。

白鵬の父・ムンフバトさんの紹介で16歳から柔道を始め、18歳で逸ノ城らと共に鳥取城北高に相撲留学。
2011年に外国人が空いていた間垣部屋に入門し、5月の技量審査場所。
好きな食べ物は焼き肉で、カレーライスが嫌いらしい。

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