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ザ・戊辰研マガジン

2020年08月号 vol.34

紡績の街に生まれ育まれてきた「医薬のスピリッツ」

2020年08月01日 15:57 by minnycat
2020年08月01日 15:57 by minnycat

新刊書『林源十郎商店物語』が発刊されました。

こちら岡山県の倉敷には江戸時代から多くの薬屋が軒を並べていました。何故、倉敷に多くの薬屋が集まっていたのか。この新刊書を読み、「林源十郎商店」が要(かなめ)として、倉敷にしっかりと「医薬のスピリッツ」が根付いていたからだ、ということがよく分かりました。                                      -------------------------------------------

「林源十郎商店」は、1657年、「紀伊国屋」という名称で創業した。そして、1715年には「大坂屋」と改称する。新薬やワクチンの開発製造、販売を通じて医療と地域の発展に貢献し、倉敷の歴史と深く関わってきた。「林源十郎商店」と改称したのは1892年、株式会社化は1950年となっている。幕末から明治、林家の当主達は貧しい人々を救済しながら倉敷の街を育てる原動力となった。特に、11代当主の林源十郎は、キリスト教会の支援などにも尽くしている。大原美術館の創設者であり倉敷紡績の創業家一族でもある大原孫三郎や、岡山孤児院の創設者として知られ「児童福祉の父」と称される石井十次らとの親交も深く、地域への社会貢献・福祉の精神に根ざした倉敷の街づくりを実践してきた。

 現在、倉敷美観地区の一角にある木造3階建ての林源十郎商店(倉敷生活デザインマーケット)の建物は、林源十郎商店の本店だったもの。倉敷が薬種の街でもあった往時を彷彿とさせてくれる。 なかでも幕末明治にかけての当主、林孚一 (はやし-ふいち)は、森田節斎の尊王説に共鳴し尊攘運動家を助けた。----------------------------------

幕末の志士達が入れ代わり立ち代わり訪れた林源十郎商店、 龍馬も来たかもしれません。(幕末の史料は維新後に焼却とのこと、惜しいですね)

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