「幕末維新を駆け抜けた岡山の人々」
数年前のことですが、四国は金毘羅宮に行きましたら、「冷泉為恭展」をしていました。 冷泉為恭は近年急激に注目され始めた江戸時代末期に活躍した復古大和絵の 絵師で、幕末の暗殺史に残る『冷泉殺し』として42歳の若さで殺された悲劇の 画家です。なかなかの腕のある人でした。ほとんどが金刀比羅宮に所蔵されています。
地元の岡山城では、「幕末維新を駆け抜けた岡山の人々」が開催されていました。神戸事件切腹の図、これカネテツデリカフーズの所蔵品なんですね。 カネテツは神戸・本店、地元で起こった事件ですから、関心があったので しょうか。それと、ペリー艦隊の様子を描いた絵巻物、個人所有でした。 すごい物をお持ちなんですね、どなたか知らないですが・・。 幕末には岡山でも、いろいろと事件があったのですね。
私は倉敷に住んでいますが、倉敷美観地区のあるお寺には奇兵隊の 残党が入り込んで刀創(キズ)を残しています。時々、見に行くのです。 1853(嘉永6)年、ペリー率いる4隻の黒船来航を契機に、 日本は動乱と変革の時代を迎えます。 岡山藩では尊王攘夷の立場を明確にすべく水戸藩の徳川斉昭の子茂政を藩主とし て迎えました。やがて王政復古の大号令後、東征軍に参加の命令が出されますが、 第15代将軍慶喜の弟という苦しい立場にあった茂政は、章政を藩主に迎え自ら は隠居し、討幕への立場を鮮明にしました。 また、佐幕派の備中松山藩では老中を2度務めた板倉勝静が陽明学者 山田方谷を登用、藩政改革を成功に導き、将軍慶喜を補佐して大政奉還にも努め、最後まで 幕府のために尽力しました。
本展覧会では、岡山藩を脱藩し維新の魁となった天誅組総裁藤本鉄石ら 尊王攘夷運動に身を投じた人々をはじめ、攘夷、開国と揺れ動く幕末、維新期の 岡山の人々に焦点をあてて紹介します。主な展示品 山田方谷「竹虎」揮毫奉納額(木山神社蔵) 嘉永六癸丑六月亜墨利加船相州浦賀表江渡来之図(個人蔵) 坂本竜馬 三行遺墨(渡辺美術館蔵) 中岡慎太郎 二行遺墨(渡辺美術館蔵) 藤本鉄石 手紙扁額(個人蔵) 板倉勝静 肖像画(高梁市蔵) 岡山藩農兵隊の旗(個人蔵) 熊田恰血染めの助命嘆願書(個人蔵) 天誅組盟主 中山忠光 肖像画(中山神社蔵) ほかでした。
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