京都木屋町 瑞泉寺さんの門前に建碑
平成30年(2018)12月、京都木屋町三条下ルの瑞泉寺さんに、岩瀬忠震(ただなり)の宿所跡の石碑建立のお願いに伺ったところ、ご快諾いただき、令和元年 (2019)5月1日に建立させていただくことができました。瑞泉寺さんに厚く感謝するとともに、今回の建碑にご賛同いただきました有志一同の皆様に御礼申しあげます。
幕臣岩瀬忠震はアメリカはじめ西洋列強5か国との修好通商条約に調印した人物で、日本の開国を積極的に進めた人物です。我々が今日、外国と行き来できるのも彼のおかげと言っても過言ではないのだとか。
条約調印の勅許を得るため、老中堀田正睦(まさよし)一行が上洛し、岩瀬もその副官格で京にやってきて、瑞泉寺さんを宿所とし、2か月間滞在しました。残念ながら、勅許は降りず、失意の岩瀬のもとを橋本左内が訪ねてきました。
彼らは親子ほど年が離れているのですが、慶喜擁立で意気投合し、この後、江戸で一橋派として積極的に活動しました。しかし、「西郷どん」でもドラマ化していたように、安政の大獄で一橋派は弾圧され、左内は刑死、岩瀬は左遷・永蟄居となり、失意のうちに病死しました。
彼らの出会いの場となった瑞泉寺さんは、幸いにも幕末以来火災にあわず、座敷が現存します。さすがは京都だと、ありがたい限りです。1818年生まれの岩瀬は、昨年、生誕200年でした。2019年、左内は没後160年です。
さて、今回、建碑のために募金活動をさせていただきました。将来の建碑活動に向けて、新しい試みの道筋をみつけたく、励んでみましたが、京都に建碑したいという、ご賛同いただいた有志の皆様の熱い思いをひしひしと感じました。ご 協力をいただいた皆様、ありがとうございました。
今回の建碑、平成最後にしようか、令和最初にしようかと悩んだのですが、「新しい時代には新しい風が吹く」とのことで、令和元年と刻ませていただきました。普通は、石碑や常夜灯に年月は刻んでも、日までは刻まないのですが、202年ぶりの生前譲位とのことで、おめでたい5月1日を刻み、この慶びをお祝いしたいと考えました。新時代を共に、平和に歩んでまいりましょう。
京都木屋町においでの際は、ぜひ、石碑をご覧になってください。
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