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会津散策 続き

2020年09月28日 20:06 by hidamarikun
2020年09月28日 20:06 by hidamarikun

2020/08/23の続き

ラーメン一平をあとにし研究会の方から「今日はあの日ですよ」とメッセンジャーがありました。あの日……はて(汗)

何だっけなーと思いながら車を走らせ飯盛山へ(意味わからず気の向くままに御朱印散策と思っていたら)

そうあの日だったんですね。

慶応4年8月23日(1868年10月8日)、白虎隊士中二番隊の少年20人がここ飯盛山で自刃した。※20人は…盛ってます。

簡単に、白虎隊は、16-17歳になる武家の男子で構成された部隊であり合計343名が所属していました。そのうちこの飯盛山で自刃したのは、士中二番隊の20名。※(…観光業界怖い盛り方w)戸ノ口原の戦いに敗れ飯盛山に落ち延びた士中二番隊の隊士達は、城下が燃えているのを目にし鶴ケ城が既に落城したと思い込みます。実際には、この時見えたのは、失火による炎だったと言われていますが、少年達は、敵に捕らえられ生き恥を晒すのを潔しとせずこの地で自刃することを選びました。自刃を選んだ理由には、多分【什の掟】が関係しているんじゃないんですかね。それは、この掟の最初に【年長者(としうえのひと)のいふことに背いてはなりませぬ】とあるようにグループのリーダーは、年上だったはずなのでそれが原因かと思います。また、この自刃の象徴ともいえる絵が白虎隊記念館にありますが、この絵は創作で少人数では可哀想などの理由から一つの場面に集約したと子どもの頃テレビで見ました。では、本来の絵はどれなのかについては、飯沼貞吉の証言をもとにした穂積朝春の図が正しいのだそうです。

思い描いてみてください。

武家の子で忠誠心があっても自刃する気持ちや兄弟同然の仲間で互いに刀を刺す場面は、酷い。。。

※私は無理というか単独でも良いから武士らしく果てたい…。

と…小さな頃から飯盛山に来ていますが歴史を知れば知るほどその人達の息づかいが伝わってきます。

何ともいえず

ただただ墓前で手を合わせるのみです

さて、白虎隊士墓を後にし御朱印を拝受しました。

まずは、階段降り口右側の土産屋さん。ここは、墓守がお話をしながら御朱印を書いてくださるちょっとした穴場なんですが…ここ最近、Twitterで拡散されたように、マナー違反の暴言により当面の間書かなくなってしまった幻の御朱印。「墓守」の文字はありませんが書き置きがありましたのでいただいてきました。※戊辰150年の御朱印帳もここで販売してました。さらに、この土産屋の隣には、無料撮影不可の資料館があります。法界寺(会津坂下)に埋葬されている中野竹子の薙刀の絵(拓本的な)、鶴ケ城城下町の絵や会津戦争資料がところせましと展示されてます。

さて、場所を変えます。

さざえ堂方面に歩くとちょうど左手に小さなお堂があります。宇賀神堂といいます。このお堂の中には、フランス軍服を着た白虎隊十九士が祀られていますがこの日は法要のため中見れませんでした。ここの御朱印は、スタンプタイプで拝受できますが、「神社」となりますので注意が必要ですが、今回は、「弔い」という名目のため寺用の御朱印帳に押していただきました。

続く

 

 

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