2020/08/23の続きです。
飯盛山を下山してエスカレーター乗り口の右の小窓でも御朱印拝受ができます。書き手の方と色々話をしていたら会津に龍造寺・鍋島に関する墓があるよと教えてもらいました。この事についてはあとから書こうと思います。
さて、場所を変えます。
今回の会津散策のメインは、福島県立博物館で開催されている〔蒲生氏郷と藩士たちの文武〕(8/1-9/22)の企画展を見てきました。
会津歴史といえば戊辰戦争だけではなく、若松城や城下町の基礎は、江戸時代初期の蒲生氏郷の治世に形作られ、保科正之を祖とする会津松平家の時代に藩政の整備や経済の発展が進みました。この企画展では、ふくやま美術館の格別のご理解・ご協力のもとに、特別展示として氏郷が所持したと伝える【国宝 短刀 銘 国光(名物会津新藤五)】をゆかりの地で公開する(50年ぶりらしいです。)というものです。
今回、この県立博物館にきた資料は、149(前期後期合わせて)点ではありますが、国光について書いていきます。
【国宝 短刀 銘 国光】は、相模の刀工・新藤五国光の短刀で、享保名物帳に、名物新藤五とされています。相州伝の始祖とされ名工の正宗は、弟子の一人といわれています。
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