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ザ・戊辰研マガジン

2022年02月号 vol.52 追悼特別版

遠く離れた桑名の地から、、中野典彦 (HN 徳川慶勝)

2022年02月05日 14:38 by minnycat
2022年02月05日 14:38 by minnycat

 星先生の訃報を知った時は、非常に驚きました。

 小生が当研究会に入会して間もない頃に、高橋さんを介して星先生と一度だけ 電話で少しお話をさせていただいたことがありましたが、大変温厚、優しい 語り口で入会を歓待していただいたことを覚えております。素晴らしいご縁を いただいたと感謝いたしております。

 先生との面識もない小生のような者ですが、星先生が主宰された「戊辰戦争研究 会」 への入会の経緯等について少しだけペンを取らせていただきました。

  入会の経緯は、小生が三重県桑名市に在住のため、容保、定敬兄弟の出身地である 高須藩に近く、幕末の歴史には興味を持っておりましたが、そうした中、ネットで当 研究会の存在を 知り、思い切って関西支部に入会させていただきました。会津ファンの方々に交じっ て交流、 啓発させていただく機会を得たことは、非常に得難いことだと思っています。

 私のペンネームである徳川慶勝は、「高須四兄弟」の筆頭にして、尾張藩主であり、 幕末の日本史の重要な役割を担っていたと思い、ペンネームにさせていただきまし た。ただ、 会津贔屓の小生としては、なぜ、徳川慶勝は、名古屋城を拠点に近隣の譜代大名たち に号令し、 薩長軍と一戦交えてくれなかったのかとの思いを強く持っています。

 また、会津若松市にはこれまで二度訪れました。初めて訪れた折、観光案内のクラ シックなタクシーの 中で、三重県桑名から来た旨伝えたところ、女性のガイド運転手の方でしたが、大変 喜んでいただいて、 熱心にご案内いただきました。日新館の閉館時刻間際だったにもかかわらず、同館に 電話していただき、 関係者の方から丁寧にご案内いただくなど、会津の方々の心温まる心情に接すること ができました。

 これからも星先生とその仲間の皆さんが築いてこられた「戊辰戦争研究会」の活動 に参加したいと思っています。 そして、できれば、退職後、時間に余裕ができましたら、孫と一緒にゆっくりと会津 はじめ戊辰戦争ゆかりの地を 訪れてみたい、というのが、小生のささやかな夢です。 遠く離れた桑名の地からではありますが、星先生のご冥福を心よりお祈り申し上げま す。 中野典彦(徳川慶勝)

 

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