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ザ・戊辰研マガジン

2022年02月号 vol.52 追悼特別版

巨星墜つ!偉大な歴史作家星亮一先生を追悼! 長尾修(HN 会津 山川健次郎)

2022年02月08日 10:09 by minnycat
2022年02月08日 10:09 by minnycat

 (はじめに) 2021年の12月31日に、戊辰戦争研究会事務局長、高橋美智子様から電話があり、本日、星亮一先生が急逝されたとの第一報がありました。予想外の突然の訃報にただただ絶句!
 大晦日に虹の橋を渡られるとは、星先生らしい見事な旅立ちとも思いました。戊辰戦争研究会の広報担当の鹿目哲生様から星亮一先生の追悼文を書くように依頼がございましたので、僭越ながら、星亮一先生と私との主な思い出を追悼を込めて綴ることにしました。

(星亮一先生との出会いと戊辰戦争研究会入会の経緯)

 私が星亮一先生とお会いしたのは、公立大学法人会津大学を会場に行われた「会津エンジン04(2007年)年時に会津大学講師室でお会いしたのが最初です。吉村作治先生(エジプト考古学:当時早稲田大学名誉教授)、北野大先生(タレント北野タケシ兄:当時明治大学名誉教授)とも同室でした。私は星亮一先生とお会いする数年前に、星亮一先生の奥様と中華人民共和国西域の遺跡見学研修旅行でご一緒したことがありました。当時、福島大学名誉教授(中国史に詳しい考古学者、藤原氏の柳之御所文化財指定の推進者)をリーダーに、福島県、宮城県、岩手県、青森県などの博物館や文化財保護行政担当の方、教師や歴史研究者などからなる約20名程のメンバーでした。上海、北京、ウルムチ、銀川、敦煌、カシュガルまで、開通して間もない新疆鉄道を乗り継ぎ途中下車、多くの遺跡を見学しました。この時に星亮一先生の奥様と知り合いました。

 星亮一先生のことは、会津の立場からの戊辰戦争をテーマにした歴史小説家として知っており、著書も数冊購入して読んでおりましたが、星亮一先生は私達より数年前にやはりこの研修旅行団に参加されていたことを知りました。ですから、会津大学の講師室で星亮一先生とお会いした時、話が弾み、意気投合してしまいました。その後、毎年行われた会津エンジン05、06でもお会いし、会津エンジンの打ち上げ宴会では、3次会までご一緒しました。そのおり、戊辰戦争研究の事や、会津にメンバーが少ない事、などを話され、私に戊辰戦争研究会への入会を強く進められました。会津には、会津史談や会津史学会などの会員で戊辰戦争(会津戦争)の研究者が多くおられる事や、私の専門は、日本考古学(縄文中期〜後期の土器編年研究)であることから、戊辰戦争については、断片的な知識しかなく、素人同然であることから、戊辰戦争研究会への入会を躊躇した経緯がありました。しかし、星先生の熱心な戊辰戦争研究会入会へのお勧めがあり、入会した次第です。

 (戊辰戦争研究会会津集会と白河集会の思い出)

 私が、戊辰戦争研究会入会して間もなく、戊辰戦争研究会事務局から、会長補佐・学術担当を仰せつかり、星亮一先生にご相談したところ、是非就任してくださいとのことでしたのでしたので、僭越を顧みず数年間就任した経緯があります。当時の東北支部長は福島県白河市在住の故鈴木邦彦(戊辰研ハドルネーム:村田蔵六氏)氏、でしたので、東北支部長を中心に、福島県猪苗代町在住の鈴木清隆(戊辰研ハンドルネーム:保科正之)氏と私の3人で巡検箇所や実施日時などを会津若松市の蕎麦屋に集まり、基本計画を策定した思い出があります。会津集会は、豪雪の会津を参会者に見せたいとの東北支部長の考えがあり、2度の戊辰戦争研究会会津集会は、豪雪の中実施されました。参加者からは、季節の良い時には、会津を何度か訪れているが、豪雪時の会津は初めてという感想もあり、会津集会は大成功でありました。

 移動バスの中では、鈴木清隆氏のハーモニカ演奏や星亮一先生の見学箇所解説もあり、大いに盛り上がったことを記憶しております。

 白河集会では、東日本大震災の後で、白河城の石垣の一部が崩れ、修復中でした。戊辰戦争の激戦地である白河口の戦い古戦場跡の見学では、星亮一先生の丁寧で分かり易い解説があり、白河集会も大成功でした。星亮一先生の笑顔でのご説明の声が思い出されます。

(福島県立博物館友の会総会時の創立30周年記念講演会講師)

 2019(平成31)年3月実施の福島県立博物館友の会創立30周年記念講演会講師をご依頼申し上げた所、薄謝礼提示にもかかわらず、快諾していただきました。この時、伊藤剛(当時戊辰戦争研究会会長)氏をはじめ、多くの戊辰戦争研究会会員有志が参加されました。福島県立博物館講堂の会場は、友の会会員や一般参加者などで満席となり、講演会は大成功でした。当時私は、福島県立博物館講友の会の副会長兼行事担当幹事長を務めており、星亮一先生講師の記念講演会が大成功だったので、責任を果たせたと安堵した記憶があります。

(終わりに)

 星亮一先生の突然の訃報をお聞きしても、私も戊辰戦争研究会会員の方々も、家族葬ということでお別れにも行けない状況でしたが、新型コロナ禍が収まったら、郡山市の星先生ご自宅に伺い、ご焼香したいと考えております。末尾になりましたが、戊辰戦争研究会の関根則喜会長様、高橋美智子事務局長様を中心に戊辰戦争研究会員皆様方のご努力、ご協力を得て益々の発展と、星亮一先生のご遺族のご健康・安寧を祈念し、星先生のご冥福を心からのお祈りを申し上げて、星亮一先生の追悼文とさせていただきます。

 改めて星先生の御霊安かれと祈念し、合掌礼拝!

戊辰戦争研究会東北支部所属、長尾修(戊辰戦争研究会HN:會津 山川健次郎)

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