星先生にお会いしたのは、子供がまだ小学校二年生のことでした。
長野の集会に家族で参加したのは初めて先生のお顔をみた最初でした。 高校の時から星先生の本で、自分の先祖の苦しみを知り、祖母のたまに見せる悲しそうな表情の意味をしり、たくさん涙を流してきた 私でしたが、いつしか忙しい生活の中ですっかりとその時のことも忘れていました。 しかし、たまたま星先生のHPを知り、参加してもう一度私の中に祖母が七つで生き別れとなってしまった母親の事、 その父親で会津藩士だった父親の事、いろいろと思うようになりました。
祖母が七つで生き別れとなり、その祖母も数十年前に他界しておりもう深く知ることはできませんが、 星先生のおかげで私の中に、とことん追求したい、知りたいという思いがめばえ、また歴史に触れるようになったことは 本当に人生の宝ともいえる出来事でした。 星先生は、とても若々しく、だれとでも気さくで優しく、ずっと年の若い神保さんと接するときは息子のようで、 いつまでも少年のような心をもった素晴らしい先生でした。
星先生にはたくさんお会いしたわけではありませんが、短い中に、たくさんのことをおぞわりました。 縁があって、子供が会津の井塚梶之助が学長をつとめたに入学した時も、とても喜んでくださいました。
こうやって書いていても、先生には感謝の思いで涙がでてきます。 星先生がたくさんのことを書物の中で教えてくださったこと、一生忘れません。 そして、私の中にもあるであろう会津士魂をこれからもわすれず精進して生きていきたいと思います。 星先生、本当にありがとうございました。
HN新島八重 こと 佐藤智子
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