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ザ・戊辰研マガジン

2022年04月号 vol.54

「青天を衝け」28・29回 いろいろ感想!

2022年03月28日 17:00 by katsukaisyu
2022年03月28日 17:00 by katsukaisyu

栄一、新政府へ

 駿府で一橋家のために奮闘中の英一です。慶喜も1年間の謹慎処分が解けて、駿府にも明るい兆しが見え始めました。そこへ、フランス・駿府での噂を聞きつけた新政府が、英一に出仕を求めてきました。旧幕臣が新政府へ出仕するものかと、要請を断りに東京へ向かった英一が、伊藤博文に向かって、自分はかつて、異人を焼き討ちにしようとした危ない奴だと主張。しかし、伊藤の方が上手で、自分は品川で焼き討ちをしたが、君はどこでやったのかと、逆に賞賛の眼差しでした。英一は途中で断念しましたが、伊藤は高杉にくっついて、実際に、品川で東禅寺の英国公使館焼き討ちをやっています。伊藤は間者として、潜入していた高槻藩士を殺したと自伝で述べているぐらいでして、半端ない経験をもつ初代内閣総理大臣です。

 口では誰にも負けないと自負していた英一ですが、後年、政党を作って、選挙に立候補し、演説上手と評判が高かった大隈重信の「・・・であ~る」にまくしたてられ、何やら、けむに巻かれていて、おもしろかったです。大隈が言う「真に新しか国を造らねばならん。共にやろう。」に共感した英一です。大隈に説得されて、英一は新政府に出仕し、新たな展開が始まりました。

 本ドラマは天下国家の話で進んでいきますが、明治初期、旧幕府の直轄地では、旧幕臣である同心や与力が再雇用されて、地方自治や治安維持の最前線にあたりました。元京都所司代同心だった、京都見廻組の桂隼之助は、近江屋事件の後、慶喜に付いて大坂に移転し、鳥羽伏見の戦いで戦死しました。

 明治4年には戦死した息子に替わり、隠居していた父親が京都府警に再雇用されています。明治初期には、地方行政のトップは、新政府のお偉方が赴任してきましたが、実際に実務にあたる人々は、地元を良く知る旧幕臣たちの多くが、引き続き働いていました。

 駿府に戻った英一は、慶喜に新政府の混乱ぶりを伝え、慶喜は英一に、国の危急存亡を救えと告げられました。暇(いとま)乞いをする英一に、慶喜は「この先は日本のために尽くせ、息災を祈る」と、英一にとっては理解のある、良い殿様です。  さて、新政府に出仕した英一、様子も分らぬまま、最高決定機関に乱入?して、直言!いいですねぇ。ただ、こういう開放的な場で最高会議をやるもんですかねぇ。いや、実におもしろいです。

 大蔵省に出仕した英一は、改正掛を進言、伊藤や大隈は改正掛に乗り気です。英一曰く、「直参、なめんなよ、この野郎」だったのです、とのこと。確かに、海外を知るインテリが多いのは、旧幕臣です。租税改革、貨幣統一、測量、度量衡の改革、メートル法の採用、そして、駅逓(てい)とやることが満載な英一です。幕末のドラマは、幕府を倒すまではおもしろくとも、明治になってくると、新政府の髭をたくわえた、黒づくめのお役人の時代になると、急に話が沈痛になってきたものですが、今回の大河は明治になって、新しい時代を創ろうという物語で、実に興味深いものがあります。

 教科書的には、何年に何を発布、何年に何を制定と習ったものですが、実際にこれらを積み上げてきた方々のご苦労を見せていただきました。ただ、郵便制度や鉄道敷設、貨幣改革などは国民にとって、非常に便利なもので、ひたすら感謝ですが、その裏で時代に乗り切れない人は悲惨だったのでしょう。朝ドラ、「あさが来た」で主人公あさの姉一家は、生活ができなくなり、没落していきました。

 鳥羽伏見の戦いの続きです。慶応4年1月6日、樟葉(くずは)と高浜(現、大阪府枚方市と島本町)で淀川を挟んで大砲を撃ち合い、撃ち尽くしたところでほぼ、鳥羽伏見の戦いは薩長側の勝利に終わりました。旧幕府軍の敗残兵たちは、大坂を目指して落ちのびていきました。

 京から大坂方面へ、京街道(大坂街道)沿いに向かうと、伏見宿、淀宿、枚方宿と続きます。淀宿の町は旧幕府軍によって焼かれましたが、枚方宿まで来ると、鳥羽伏見の戦いでの焼失は免れました。おかげで、江戸期の町家が現存します。

 写真は本陣跡です。残念ながら、建物は残っていませんが、公園となって、跡地が保存されています。明治天皇の大坂行幸の折には、この本陣で昼食を取られたとのことです。

 こちらは旧船宿鍵屋です。街道沿いの表側は主屋で、19世紀初頭の町家建築で、枚方市の登録文化財になっていて、幕末期に街道筋を志士たちが往来したころの面影を偲べます。かつては、裏側は淀川に面していたそうで、枚方名物、くらわんか船が直接、鍵屋から出ていました。

 別館は資料館になっていて、三十石船やくらわんか船、枚方宿の様子などが展示されています。

 この鍵屋、京都と大坂の中間にあり、絶対に幕末の志士さんたちが利用したことと思います。何か資料が残されていたらと期待していますが、残念ながら、今のところ、出てこずです。

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