戊辰戦争 裏切りの明治維新 (静山社文庫) 明治維新の闇を照らす一冊!!
歴史は敗者に聞けという。私流に質問したいことがたくさんある。 戊辰戦争は日本人同士による内戦である。しかし、戦いは江戸城が無血開城された後で起こった。
最高責任者の慶喜が恭順した状況で、戦は北へと拡大していった。この期に及んでなぜなのか。 幕府軍の兵士の数は圧倒的に薩長を上回っていたが、それでも戦いは薩長が制した。戦意に劣っていたからなのか。戦争の負者達の弁明を是非とも聞いてみたいと思った。
徳川慶喜という人は、常に弱気で論理不明快な人物だったという。なるほど、将軍としては失格、リーダーとしても不合格だったようだ。京で名を馳せた豪傑、会津藩の林権助が生きていたら非戦闘派家老の西郷頼母が総督になることはなかった。戦闘が冬まで持ち越せば、戦いは少し違ったものになっただろう。大役を担える司令官がいなかったようだ。
大鳥圭介や土方歳三らは活躍の場を与えられなかった。海軍力にも大差をつけられた。各藩の意識の違い、藩内の意思の不統一は奥羽越列藩同盟を骨抜きにしてしまった。すべては、薩長の企てた菊の御紋に屈したのが起因という。今更ながら、考えさせられた。
会津藩一藩で全国から押し寄せてきた官軍と戦い、多くが壮絶な討ち死にをした。会津を撲滅しなければならない理由とは何か。それを考えると、戊辰戦争を仕掛けた薩長の暴挙が見え隠れする。 分捕りは許し難い。夜盗の集団になり下がった薩長の兵士たち。捕虜は虐殺が決まりとはなんということか。これでは「官軍」ではなく賊軍である。
本書では、その実態が明らかにされている。また、庶民が描いた戦争を丹念に集め、その文章を紹介している。二本松少年隊の悲劇、仙台鴉組の奮闘、少年兵・平太、山本八重の胸をすくような活躍、貴重な新証言を多数収録している。 彼等ひとり一人の思いが声高らかに聞こえてくるようである。
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