会津人として世界的に有名な細菌学者、野口英世(のぐちひでよ)が青春時代に過ごした会津若松。会津若松市内の縁が深い通りは、1992年に野口英世青春通りの名前がつきました。野口英世は1歳の時、左手に火傷を負い5本の指がくっついてしまいます。しかし、15歳の時に会陽医院で手術を受け、14年間くっついたままだった指は元通りになりました。このことがきっかけで医学の道を志した野口英世は、故郷である猪苗代町を離れ、会津若松市の会陽医院に書生として住み込みながら勉学に励みました。会陽医院は「野口英世記念館・会津壹番館」として、今もこの通りに残っています。その他にも洗礼を受けた教会、散髪に通った理髪店跡の店蔵、初恋の女性、山内ヨネの旧宅などがあり、野口英世が多感な青春時代を過ごした場所です。レンガ敷の「野口英世青春通り」には、雰囲気のあるカフェや、昔ながらの蔵店が並び、明治時代にタイムスリップしたような気分になります。七日町通りからも近く、会津のまち歩き観光におすすめのスポットです。
【野口英世青春広場】
【野口英世青春館と會津壹番館】
【會津壹番館】
これまで私は、「野口英世青春通り」と「野口英世青春広場」の存在を知りませんでした。東山温泉へ宿泊後、モーニングコーヒーを飲みたくて会津若松市内のコーヒーショップを検索したところ、「會津壹番館」を見つけ、この建物が「英世青春館」であることを知り、初めて訪れました。「野口英世青春通り」は、とっても趣があり、「野口英世青春広場」の野口英世の銅像は、威厳があって素晴らしい。「忍耐」という言葉がずっしりと重い印象です。そして「會津壹番館」は、レトロが雰囲気がとてもオシャレで、自家焙煎のコーヒーは、現令和天皇・皇后陛下が会津行幸の際に、召し上がった「有機栽培ペルー」は頂きましたが、豊かなコクと酸味があり、とっても美味しく頂きました。皆様も会津若松訪問の折には、「野口英世青春通り」「野口英世青春広場」「會津壱番館」にお立ち寄りください。
【記者 鹿目 哲生】
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