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ザ・戊辰研マガジン

2022年12月号 vol.62

会津藩の祖・保科正之公の生涯たどる~没後350年記念展

2022年11月21日 07:56 by tetsuo-kanome
2022年11月21日 07:56 by tetsuo-kanome

 徳川家3代将軍の徳川家光公の弟で会津藩の初代藩主保科正之公の没後350年を記念した展覧会「保科正之展」が猪苗代町図書歴史情報館で開幕した。猪苗代に眠る古里の偉人の功績を紹介する。猪苗代の偉人を考える会の主催、町教委の共催、町内で保科正之を祭る土津神社や同神社氏子会、県立博物館の協力。同神社所蔵の宝物、刀剣、歴代藩主の肖像画、関連資料などの写真やパネル約60点を展示している。

 注目されるのは、初公開となる「土津神社絵図」や、日本一大きい石碑「土津霊神の碑」の8分の1レプリカ、イラストを使い保科正之の生涯を分かりやすく説明したパネルに来場者が見入っている。猪苗代の偉人を考える会の主催、町教委の共催。保科正之公を祭る同町の土津(はにつ)神社の貴重な所蔵品を展示するほか、保科正之公の生涯をパネルなどでたどる。猪苗代の偉人を考える会の小檜山六郎会長が「歴史を知ることは私たちの未来の教訓になるので、たくさんの人に来場してほしい」とあいさつしました。

【初公開『土津神社絵図』】

 土津神社の創建当時のお宮は、重厚な感時門や廻廊、透塀などを持つ荘厳華麗な神殿造りの社殿で、徳川家康公を祀った日光東照宮になぞらえて「東北の日光」「奥日光」「裏日光廟」と称され、東北の諸大名は参勤交代の折りに日光東照宮とともに必ず立ち寄っていたそうです。現在のお宮は、明治13年(1880年)に再建されたものです。平成28年に大須賀清光作の『土津神社図屏風』が発見されました。戊辰戦争で焼失する以前の土津神社の姿を描いたものです。

【日本一大きい石碑「土津霊神の碑」】

【会場で販売されていた「保科正之展」図録】

【私が所持している「保科正之公」の書籍】

【土津神社の亀石に載った石碑は日本最大(高さ7.3m、重量30t)】

 

【土津神社の紅葉】

 会津藩の祖であります保科正之公の没後350年を記念して開催されました「保科正之展」。私はどうしても見たくて、限られた時間の中で、猪苗代町へ向かい見て参りました。今回初公開の戊辰戦争で焼失前の土津神社を描いた『土津神社絵図』をどうしても見たかったのです。素晴らしい絵図で感動しました。

 2022年11月16日には、NHKBSプレミアムの「英雄たちの選択」で「ドキュメント明暦の大火 幕府を変えた江戸の危機」と題して、保科正之公が大きく取り上げられました。江戸時代前期の明暦の大火は江戸市中の6割を焼き尽くし10万人以上の命を奪った。幕府への不満が募る中、幕閣・保科正之は、武士も町人も驚く復興策を打ち出した。徳川幕府将軍のお膝元が火事に無防備なことが露呈し、幕府への不満が高まった。この危機の中で復興にあたったのが幕閣・保科正之幕府の御金蔵に蓄えられた金を惜しみなく使い被災者の救済に力を注いだ保科だが、焼失した江戸城天守の再建をめぐって選択を迫られた。保科の常識を覆す選択は武力にものをいわせる政治の根幹まで変えていく。保科正之は、文治政治の魁と謳われ、江戸、そして、会津藩において、ヒューマニティある政治を行いました。今、日本が学ぶべきリーダーの手本がここにあります。

【記者 鹿目 哲生】

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