平安時代末期の京都
京阪清水五条駅から鴨川を渡ると、牛若丸(義経)と弁慶のかわいい像が設置されています。ただ、現在の五条大橋は、平安期の五条大橋ではありません。鴨川の沿岸の道を北上すると、松原橋に出ますが、平安期の五条大橋はこちらです。牛若丸と弁慶が戦った伝説の場所の記憶は、松原橋の方にあります。
松原橋から東山の方へ向かって、松原通を歩きましょう。この松原通は、平安期以降、京の北東にある鳥辺野(埋葬地)へ向かう通りで、葬送の道でした。死者を運ぶ道です。東へ進むと、六道の辻の石碑が建てられています。六道とは、地獄道・餓鬼道・修羅道などの六種類の冥界のことで、この辻はあの世とこの世の境目ということになります。六道の辻を南へ右折すると、六波羅蜜寺の前に出ます。石碑の反対側には幽霊飴屋があり、なかなか雰囲気があります。
松原通を東へ進むと六道珍皇寺の門前に出ます。ここは平安期の能吏、小野篁(たかむら)の屋敷跡と伝わります。小野篁は閻魔さんのお使いだったとか。昼間は官吏として朝廷で働き、夜は閻魔さんの手伝いをするために、屋敷の庭の井戸から冥界と出入りしていたという伝説が残されています。本堂が閉まっていても、塀の小窓から井戸が見えるので、のぞいてみてください。寺には地獄絵が数多く残されていて、お盆のころには特別公開されることがあります。
松原通をそのまま東へ進み、東大路通を渡り、二本北側の道を東へ進むと、八坂の塔と言われる五重塔が見えます。ここは法観寺で、元は大きなお寺だったのが、時代と共に衰退し、五重塔が残りました。この寺は飛鳥期の八坂氏の氏寺とのことで、塔の礎石は飛鳥時代の物と伝わります。八坂の塔には登ることができますので、少し上空から京の町を眺めることができます。
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