京で日本最古の新聞発見 「文久二年正月元日」
最古とみられる日本語の新聞。「文久二(1862)年正月元日」の日付がある(松田清京都外大教授提供)
京都市下京区の本草漢学塾「山本読書室」跡で見つかった数万点の史料群の中に江戸末期の「文久二(1862)年正月元日」と印刷された日本最初の新聞が含まれていたことが3日分かった。
調査した松田清京都外国語大教授が記者会見で明らかにした。縦24センチ、横33センチの和紙に、縦1段組みで38行が木活字版で印刷されていた。タイトルはオランダ語で「新聞紙の写し、1862年1月1日、ミヤコで」と記され、本文は漢字仮名交じり文だった。
松田教授は筆者名を分析し、「ロビンソン・クルーソー」を初めて日本語に訳した膳所藩(大津市)の蘭学者黒田行次郎(1827~92年)が京都で発行したと結論づけた。 これまでは江戸幕府の洋学研究機関・蕃書調所がオランダ語新聞を翻訳し、「文久二年正月」に発行した「官板バタヒヤ新聞」が日本語初の新聞とされていたが、日付が不明だった。新史料は日付があり、日本人が日本語で記事を執筆、編集した新聞としては最古という。
内容は天文学、理学、中国の海外情報などが幅広く記されている。幕府の小笠原諸島での調査、薩摩藩による英国製の船購入、彗星(すいせい)の出現などの話題を載せている。洋学を重視しない自藩に対する不満も書き連ねている。
史料群の中に、幕末から明治にかけての岩倉具視あての新政府要人からの手紙が61通あることも判明。西南戦争時の木戸孝允と大久保利通との意見の相違など、当時の政府内での力の構図が分かるという。また、鎌倉時代の北条政子の書状なども見つかっている。
松田教授は「文書から標本など文系、理系を総合した史料群は全体一括で重文級。共同チームで研究態勢ができるようにしてほしい。まだ知られていない歴史の解明も期待できる」と話している。 【京都新聞】 (2014年2月4日付け)
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