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ザ・戊辰研マガジン

2019年2月号 vol.16

じいじとばあばの東北旅行2018 史跡めぐり仙台編④(輪王寺)

2019年01月31日 18:46 by tama1
2019年01月31日 18:46 by tama1

「輪王寺」 8月31日(金)午前中は、孫の幼稚園に於ける祖父母招待に出席。 二泊予約のホテルをAM8:30に出立。地下鉄南北線広瀬通から勾当台公園→北四番丁 →北仙台まで乗車。あっという間の5分強だったか? 北仙台駅出口を出た所すぐそばのマンションに入ったのが8時45分。 娘夫婦ともどもペ-パ-ドライバ-で車に乗らない(乗れない?)のでマンションから 地下鉄北仙台、JR北仙台ともに徒歩2分以内と利便性は満点の場所だ。

  今回の主目的である、孫の祖父母招待の幼稚園は徒歩10分ぐらいの場所。 いつもは、母親と二人で通園している道ですが、今日ばかりは主役の孫が「初めての お使いデビュ-」の如くひとりで我々祖父母の手を引いて幼稚園に案内してくれました。 ママに言われていたのか、それこそ一生懸命に道筋を説明する姿を見て、いじらしくも 頼もしくも思いました。嬉 祖父母招待の模様については既にFBに投稿していますのでカットします。

  幼稚園からマンションに戻り、娘の作った昼食をいただきました。娘婿は現在、東北大の 研究員として出勤していますので、昼食後は娘と孫の案内で私のリクエストである戊辰 戦争史跡に付き合ってくれました。

  目的地の「輪王寺」までは時間の都合も考えJR北仙台駅前からタクシ-を使いました。

「輪王寺」 仙台市青葉区北山1-14-1 輪王寺は元々は嘉吉元年(1441)伊達氏11代伊達持宗によって、福島県梁川町に 創建されたそうで、その後伊達家の移転に伴い米沢、岩出山を経て仙台の地に移って 来たのが、慶長七年(1602)だそうです。

「輪王寺山門」 この山門が建立されたのは、元禄四年(1691)仙台藩4代藩主伊達綱村により、仏殿、 客殿などが整備された際になるものと見られ、明治9年(1876)の北山大火を免れた 輪王寺境内唯一の遺構であると書かれていました。

 山門とその奥に連なる参道への構図は本当に素晴らしい景観です。(ノ゜ο゜)ノ

 本堂へと続く長く風情のある参道は「お悟りの道」と名付けられているそうで、両側に はたくさんの石仏が並んでいました。それぞれがどんな仏様かを調べながらゆっくりと 歩くのも一興かも知れませんね。ニコニコ さて、本日この「輪王寺」を訪れたのには大きな目的があります。 三年前の2015年11月に戊辰戦争史跡及び新選組史跡を訪ねて念願の「会津」を訪れ ました。その時に訪れた飯盛山の「白虎隊自刃の地」に立った時の何とも言えない感動 と切なさは今も脳裏に焼き付いています。 傍らには白虎隊生き残りの隊士「飯沼貞吉」の墓がひっそりと建っていました。この墓 には貞吉の遺髪が納められているそうです。 ただ一人、奇跡的に生還した貞吉はその後、会津の地を去り、生涯故郷会津の地を 踏むことはなかったといいます。しかし、望郷の念を募らせた貞吉は死の間際、もしも 会津で迎えてくれるなら・・・と家族に自らの毛髪を託したといいます。

  その「飯沼貞吉」の終焉の地が仙台であり、ここ輪王寺の墓に眠っているのを知るに 至り、やってきた次第なのです。

 本堂にお参りしたのち、墓所に向かいましたが、こんなにも広く、且つ180度に展開 する墓地では、ネットで調べた写真一枚が頼りではこの上なく困難にぶつかりました。

 ばあばや、娘、孫等手分けして探すも、当初は方向違いの場所を探していたようで、 娘達がたまたま来ていた参詣者に尋ねたところ、白虎隊士の墓という案内板があると 教えてもらい、大声で知らせて貰いました。やはり一人でなかって良かったなあ~_(._.)_

 さすが!小回りが利いて走れ廻れる小さな孫(結構、字が読める?)がこの案内板を 発見してくれました。

 孫に手を引っ張って貰って、ほぼ一番上に位置する場所の右手 に飯沼貞吉の墓を見つけました。 時々、小雨が降る中での墓参でしたので、くっきり、はっきりとは撮影が出来ません でしたが、よく見ると「飯沼貞雄之墓」とあり、傍らには「白虎隊士飯沼貞雄の墓」の 説明板が建っています。それにしても立派なお墓です。

 幼名貞吉、嘉永七年(1854)生まれ、会津藩士飯沼猪兵衛一正(禄450石)二男。 歳を偽って白虎隊に参加するも、戦い利あらず、飯盛山にて他の十九士と共に自刃に 及んだが、死にきれず一命を救われた。維新後は貞雄と改名し、逓信省の通信技師と して各地に勤務し、日清戦争にも従軍した。昭和6年(1931)2月12日没、享年78歳。

  この墓は、輪王寺第四十一世中興福定無外和尚が貞雄没後一周忌に建立したそうです。 貞雄の戒名は、「白巖院殿弧虎貞雄居士」とされ、「白虎」と貞雄の雅号「弧虎」が織り 込まれています。

  貞吉の出陣に際して、母ふみ(雅号玉章(たまずき)が詠んだ歌が色紙に残されている。 あずさゆみ むかふ矢先はしげくとも ひきなかへしそ 武士の道 貞吉の出陣するときに つかはしける 玉章 と書かれていました。

  また、会津藩家老・西郷頼母の妻千恵子は貞吉の父の妹ですから、貞吉には叔母に あたります。なるほど宜なるかなの感がありますね! 白虎隊フアンにとっては堪らない!1986年のテレビドラマ「白虎隊」が鮮明に蘇って きます。会津に続き、この地に来れて良かった!私の白虎隊史跡めぐりもこの地で終焉 となります。飯沼貞吉のご冥福を祈念し~合掌~ 借り画ですが、輪王寺の四季を纏めてみました。

  それにしても、ここ「輪王寺」は素晴らしいお寺ですね!今日はゆっくりと散策出来ま せんでしたが、先程の山門をはじめ、二千六百巻の般若心経が蔵めれているという 五重の石塔や茶室「半杓庵」、座禅堂、三重塔があり、四季折々の花が咲き誇り、安ら ぎを与えてくれる池泉回遊式日本庭園があるそうです。次に来仙する機会があれば、 是非再訪したいと思います。

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