江戸の幕府が終焉をむかえる頃「幕末の三舟」と呼ばれる三人の有能な幕臣がいた。そしてこの三人はいずれも江戸無血開城に関わった人物であった。
名前に「舟」が付く幕臣で、まず頭に浮かぶのは「勝海舟」だろう。そして幕末を知っている方ならご存知の「山岡鉄舟」。あとの一人は誰か?
それは「高橋泥舟」
泥舟?いまにも沈没しそうな名前である。勝海舟に「馬鹿正直」と評価された男「高橋泥舟」であるが、槍一筋ひたすら武術を極めた人物が「高橋泥舟」であった。
左:勝海舟 中央:高橋泥舟 右:山岡鉄舟
高橋泥舟は、江戸の旗本・山岡正業の二男として生まれた。のちに母方の高橋家へ養子に出され高橋家を継いだのである。山岡家は、槍術の名人を輩出した家柄で、高橋の兄・山岡静山も古今無双の達人とされた。のちに高橋の義兄となる山岡鉄舟が槍を習ったのがこの静山。しかし静山は27才という若さで急死してしまうのである。
旗本の小野家に生まれた鉄太郎(山岡鉄舟)が、静山と泥舟の妹・英子を娶り、山岡家を継ぎ、槍道場は高橋家に養子入りしていた泥舟が道場を継いたのである。静山が亡くなったとき、是非とも英子を娶り山岡家を継いで欲しいと鉄舟に頼んだのは、泥舟であった。
海内無双の槍術を見込まれた泥舟は幕府の武芸訓練所である講武所の槍術指導や、清河八郎の策謀によって解体された浪士組を新徴組に再編、その取締役を務めるなど、暗雲立ちこめる幕末期において重要な役割を果たすのである。
そんな実直な働きぶりが一橋慶喜(後の徳川慶喜)の目に留まり、その側近として文久三年(1863)の慶喜上洛に随行。そして朝廷から従五位下伊勢守に叙任されたのである。幕末には血気盛んな若者らしく、尊皇攘夷思想にその心を燃やしていた。そして万延元年(1860年)槍術の師範になった泥舟は、ある男と知り合うのであった。庄内藩士の清河八郎である。
江戸幕府により浪士組が結成されると、高橋は義弟・山岡鉄舟らとともに、将軍・徳川家茂の供として京都に向かった。そして清河が「将軍のためではなく、尊皇攘夷のために浪士組を集めた」と目的を述べたことで、浪士組は分裂。近藤勇ら多摩試衛館で剣術を学んできた者たちと、水戸藩士・芹沢鴨らは浪士組を離れ「壬生浪士組(新選組の前身)」を結成するのである。
残った浪士組は、幕臣・鵜殿鳩翁に管理を任されたのであるが、まとまりがつかず泥舟が管理役として任命されて何とか落ち着いたのである。そして泥舟、山岡、清河らは「壬生浪士組」が抜けたあとの浪士組を率いて、江戸に戻ったのであるが、壬生浪士組の面々は清川八郎の暗殺を企て、実行に至ったのである。幕臣でありながら尊皇攘夷を唱えた泥舟は謹慎処分。そして世間の動乱から一歩身を退き、槍に打ち込む日々を送るのであった。
慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦いに敗走した徳川慶喜が江戸に戻ると、泥舟も江戸城に駆けつけた。江戸城は大騒ぎで、泥舟が何とかして慶喜に面会しようとするのだが、それどころではなかった。慶喜も泥舟に会いたくてたまらなかったのであるが、混乱のあまり、二人が会えたのは十日ほどたった後。
やっと出会った慶喜に、泥舟は恭順を薦めたのである。断固徹底抗戦を主張する者も多い中、泥舟は違っていたのだ。
一方、慶喜から頼られていた勝海舟はこの窮地の打開策を練っていた。そして勝は、駿府の西郷隆盛のもとに向かう使者として泥舟を指名したのである。しかし慶喜は泥舟の指名には強硬に反対したのである。慶喜は、泥舟の腕前と、断固として戦うと主張する者すら抑え込む胆力を、ともかく頼りにしていたのだ。
ここで白羽の矢が立ったのは、泥舟も太鼓判を押した山岡鉄舟である。そして山岡が西郷のもとへ向かったのはよく知られるところである。その後、泥舟は慶喜の護衛役をつとめ、混乱の中で最後の将軍を守り抜いたのである。
明治になってからの泥舟は、慶喜に従い一度は駿府に移ったのであるが、その後、江戸に戻り書画骨董を楽しむ静かな余生を過ごすことになった。
しかし明治21年(1888年)山岡鉄舟の死後の事であった。義兄であり、実家山岡家を継いだ山岡鉄舟は、多額の借金を残していたのである。泥舟自身も貧しい暮らしを送っている中、金策に奔走し、門人の一人が質屋を経営していることを思い出し「1500円、貸してくれ」と頼んだのである。質屋の主人は驚いた。どう考えても抵当なんてあるわけがなく、「抵当があれば貸すが何があるか?」と尋ねると「この顔でござる。もちろん私は返すつもりはあるが、死生とははかりがたいもの。もしもというときは、熨斗をつけて私にくださらんか」
主人は呆気にとられたが、天下の高橋泥舟がまさか踏み倒すこともないだろうと、1500円を貸してくれたという逸話が残っている。
山岡鉄舟の死から15年後、勝海舟の死から4年後に、泥舟も死去。享年69であった。勝海舟は高橋泥舟を「あれほどの馬鹿正直は最近いない」と言う。槍を突くがごとく、泥舟はまっすぐな人生を送ったに違いない。
2024年春季号 vol.5
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