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ザ・戊辰研マガジン

2021年03月号 vol.41

岡山県内、史跡ご紹介!

2021年02月24日 15:44 by minnycat
2021年02月24日 15:44 by minnycat

「対面所跡の碑 」

 先日、岡山県立図書館で会合があり、時間が少しあったので近辺を散歩していました。近くの林原美術館前を通ると、この碑が目に入りました。何度も通っているのに気が付かないでいました。

 この林原美術館の場所には、岡山城二の丸屋敷の対面所が存在していました。対面所の建物は明治維新後には取り壊されましたが、その跡に岡山藩の支藩・生坂藩(岡山新田藩)の武家屋敷の長屋門などの建物が移築され、旧藩主池田家の事務所として利用されていましたが、1945年(昭和20年)6月29日の岡山空襲により長屋門と土蔵を残して焼失してしまいました。林原美術館建設に際し、焼け残った長屋門は美術館入口として、土蔵は展示室として保存・活用されています。

「河井継之助逗留の船宿(児島屋)跡の碑」

 倉敷市の南、玉島港を探索してきました。玉島港に面して元船宿が立ち並ぶ界隈に河井継之助逗留の船宿(児島屋)跡の碑があります。

 私が訪れた時は、壊されてすぐの頃でした。もっと早く来れば現存する建物を撮影することができたのにと残念でした。跡地は駐車場となっています。現在もその当時の面影を残す建物が多く残されています。しかし、住む人もなく朽ち果てていくばかりで保存が望まれます。

 越後長岡藩家老 河井継之助逗留の船宿(児島屋)跡 安政6年(1859)越後長岡藩家老河井継之助は藩財政改革の先駆者山田方谷の教えを請う為に玉島港に上陸した。その時泊まった船宿で越後出雲崎の良寛さまを慕い、円通寺へさん参詣し、そのあと高梁へ行ったことが、彼の旅行記「塵壺(ちりつぼ)」に記されているのがこの船宿である。安政6年(1859)逗留 出典「塵壺」より 河井継之助は奥羽戦争で倒れるが、生存であれば明治維新の中で活躍したであろうといわれる逸材で備中高梁の経済を勉強した長岡藩を再興し、新政府としても惜しまれた。

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