霊場恐山の本堂の前に立つ、寺名は「恐山菩提寺」
JR大湊線「下北駅」からレンタカーを借りて恐山を目指す、街中には「恐山」の行先標識が多数あるが、今どきのレンタカーにはナビゲーションシステムが常備されている。
街中を抜けて山道に入ると急な坂道の連続になる、車の運転に慎重にならざる得ないが、行きかう車が少なく快適である。このような急な坂道の山道はまるで栃木県日光の「いろは坂」以来である。鬱蒼とした森の中を駆け抜けるのは気持ちがいいが、江戸時代明治時代の下北半島では道の整備など考えられず、鬱蒼とした山道を登ってしか行けない恐山自体の認知は低かったのではないだろうか。
広大な駐車場には数少ない車両が駐車している、入り口で500円の入山券を支払い境内に立ち入る、この入山券を払うことにより場内にある4か所の今日浴場に立ち入ることができる。500円で4か所の湯を巡ることができるなんてなんという安さなんでしょう、都内の公衆浴場やスーパー銭湯といわれる施設よりもぐっと安いのではないか。
本堂の前景である。
本堂の前に立つが周りには観光客などほとんどいない、もし私が幼い子供だったら「わーい、恐山をひとり占めだーい」なんてはしゃぐであろうが、恐山をひとり占めにしてもなんら楽しくないしうれしくもない、むしろ一人でいることで更に恐ろしくなる。
本堂の前に立って思うことは現世に生きていることのありがたさと切なさである、今、自分に命があることを素直に喜びたい。
大師堂との表札がある、大師堂と言っても「お菓子の太子堂」ではない
本堂から裏手に回ると殺伐とした地域に入る、その一角に「大師堂」との表札のある建屋前に建つ。風車が回っているがこれは水子の霊を慰める風車ではないという、風車を回して火山ガスが流れる下手を教えているそうである。火山ガスの流出する危険な場所であるからの当然の処置であろうが、地獄めぐりをしているとの思いの観光客はわかっているのだろうか。きれいな模様の風車をみて微笑むのは私だけではないだろう。
火山ガスが流出する一帯。
恐山にはいたるところに火山ガスの流出口がある、あたり一面は硫黄の臭いで充満している。素人目にも危険な場所であることがわかる。以前はここで産出する硫黄の採掘があったようであるが危険な地域であることから放棄されているそうだ。そしていたるところに小さな岩や小石を積み重ねている箇所がある、これは説明文には危険なガスの流出時に直接流すのではなく積み重ねた岩や小石に充てて分散しているのだそうである。
浅学の私はてっきり地獄に堕ちた子供たちが小石を積み重ねる作業を、現世に生きる私たちが小石などを積み重ねて手伝っているとの認識がある。そしてある程度積み重なって高くなったらどこからか地獄の鬼(?)が現れて積み重ねた山を崩してしまい、子供たちは再度石を最初から積み重ねるという苦行に泣くというのが私の認識である。しかしここで私は考えた、なぜ子供たちが地獄に堕ちるのか、なぜ地獄にいるのか。子供たちが現世で悪行を重ねたとしてもその責任は親にある、子供が地獄に堕ちるのではなく、子供の責任を取り親が地獄に堕ちるのが正しい人の道ではないだろうか。
私には人様に諭すような宗教観など持ち合わせていないが、子供の地獄行きには大いなる疑問を持つ。
境内に4か所ある共同浴場
境内には共同浴場が4か所ある、男湯が1か所女湯が2か所、そして混浴が1か所。だが混浴の浴場は建物の渡り廊下らしい細長い建物を迂回しなければならず、混浴の湯に入るにはハードルが高い。浴場の中は青森ヒバの木材が床や壁にふんだんに使われており、いい香りについうっとりするものである、湯は硫黄泉で硫黄臭がきつく、いかにも火山地帯の温泉湯につかってようだ(当然だが・・)。湯はちょっと高めの温度で我慢しての入浴となる、湯が熱い時は足湯にしてボーっと過ごすのも恐山の温泉の楽しみでもあろう。
青森ヒバに囲まれた湯舟(男湯)
写真の奥には男性が一人写っている、入浴客だが当然に私と面識はない。知らない人でも一緒に入れることが共同浴場の醍醐味であろう。ここに入っている男性はいかなる理由で恐山を訪れたのか思い知る由もないが、おそらくそして厳粛な思いを持って入浴しているのだろう。
恐山に訪れること自体、観光と言っても軽い気持ちでは済まされない。
恐山の共同浴場の観光客の入浴時間は午後18時までである、その後は宿坊に宿泊している人たちの入浴時間である、但し21時までである、それ以降の入浴は禁止となっている。
なぜか?、午後21時過ぎは恐山に漂う霊の入浴時間なんだそうである。
霊と一緒に入浴したいと言ってもそれは許されざることである、霊が漂う時間までを現世に生きる私たちが犯すわけにはいかない。
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