大和・天領の百姓一揆 「芝村騒動」 そのV今に引き継がれる顕彰と供養
大和の国中を巻き込んだ芝村騒動は、箱訴の時点では想像も出来なかった多くの 犠牲者を出し、足掛け三年もの長い期間を要して集結しました。 その犠牲者たちをしのぶ建碑や法事が芝村騒動ゆかりの地で今に続いています。
平成16年(2004)5月25日付けの朝日新聞奈良版「隠れ古社寺気まま旅」の中に、その寺「浄教寺(じょうきょうじ)近藤正俊住職(当時75歳)」が紹介されています。
「浄教寺」 奈良県橿原市葛本町
記事によりますと、宝暦三年(1753)箱訴を行った十市郡九村の一つ、葛本村から参加し た一揆の指導者七人の位牌と一揆の詳しい経緯を書いた「位牌由来記」の文書が本堂に 安置されているという内容でした。
「芝村騒動」ゆかりの地、膳夫町「念仏寺」~耳成山~常盤町「春日神社」を廻り、アポ なしではあるものの、近藤住職にお話を聞けたらいいな、と思い、ここ浄教寺にやってま いりました。新聞に掲載された年は75歳とありますから、お元気でしたら90歳になられて いる計算となります。 訪問の目的を告げ、面会を求めましたところ、出て来られました奥様が快く対応くださり本堂のほうにご案内いただきました。 近藤住職はお元気だとのことですが、新聞記事の中にも書かれていましたが、実 は昨日(5月8日)、毎年行われている法事が終わったばかりで、お疲れのため、おやすみされ ているとのことで、残念ながらこの日はお目にかかることは叶いませんでした。
法事は犠牲者のご子孫らが参列し、位牌を前に近藤住職が「由来記」を読むそうです。 近年は歴史フアンも参列されるそうで訪問が昨日だったらと少し残念な気も致しました。 江戸時代の建物という本堂の中に入れていただきました。本尊の阿弥陀如来に向かって 左側の部屋には厨子が置かれ、位牌が安置されていました。 黒漆塗りの位牌は八角柱で、一揆の指導者七人の法名と俗名が一つの面に一人ずつ金字 で記され、残りの面には天明四年(1784)に位牌を作ったことと当時の浄教寺の住職の名 前が記されているといいます。 別に一揆の詳しい経緯を書いた「位牌由来記」の文書があるそうですが、今回は拝見 することが出来ませんでした。
この由来記には7人の犠牲によってその後、年貢が減免されたことや、その恩恵を末代 まで忘れないため位牌を作り、毎年4月8日(現在は5月8日)に法事を行っていることが 記されているそうです。
また、記事によりますと、近藤住職は、八丈島で死んだ秋山弥右衛門が家族に宛てた手紙 を秋山家から預かっている。これら関係の資料も紹介した「芝村騒動を探る」を自費出版 されている。と書かれています。 次回は、近藤住職の体調のよい日をお聞きして是非、再訪したいと思います。 本堂では1時間以上も私の話し相手をして下さいました奥様、突然の訪問にも拘わらず 本当にお世話をおかけし、申し訳御座いませんでした。有難うございました。
次号に続く
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