「白虎刀」「奈良刀」「京都お守り刀」といえば、修学旅行生の土産品の定番で、木製の模擬刀が知られております。近年は中国からの輸入品も多いですが、かつては会津若松市の木製品製造業「タカハシ産業」が全国シェアをほぼ独占しておりました。一九七〇年代に独自の設備で大量生産を開始し、全国の有名観光地に売り込みを掛けて一気に広まりました。同社は一九七二(昭和四十七)年の設立直後、木刀の製造を始めました。当時、全国の観光地で刀の土産物を見掛けるのは珍しく、会津地方の漆器職人が仕事の合間に作った商品が流通する程度だったそうです。そこに目を付けたのが、創業者で、現在は会長を務める高橋信男さん(74)でした。「うちは主力商品を刀にした。会津でしか作られておらず、競合他社がいない。売れる自信があった」高橋さんは一定量の製造・流通があった地元には目を向けず、全国の観光地に営業を掛けました。日光や浅草、小田原、京都、広島、高知、福岡など修学旅行で人気の観光地を訪ね歩きました。取引を断られることは少なく、出荷先は面白いように広がっていったそうです。販売がピークだったバブル期には年間十六万本を製造しました。多くは「ご当地名」を記した上で出荷しており、スタンプの数は二百種類を超えました。刀の価格は小学生の小遣いで買えるように、いつの時代も千円以下としているそうです。低価格を支えるのが大量生産のために開発された独自の機械です。チェリーウッドと呼ばれるモクレン科の板材を裁断し、一度に数本分の刀身やさやを作っております。機械に木材をセットしたり、つばを取り付けたりするのは手作業で、木を削る工程はほぼ機械が担います。コンピューターで制御された最新機器ではないが、創業時から改良を重ねてきております。少子化などの影響で現在の出荷量は年間三万四千本で、最盛期の五分の一に落ち込んでおりました。代わりに会社の売り上げはピザ用のトレー、ステーキの鉄板をのせる木台、デザイン雑貨などが支えております。高橋さんの長男で二代目社長の通仁(ゆきひと)さん(44)は「利幅の小さい刀だけでは会社はつぶれてしまう。刀以外の商品があるから刀を作り続けることができる」と打ち明けております。昨年は新型コロナウイルスの影響で春先の修学旅行が延期や中止となり、一時は注文が途絶えたそうです。ただ、秋以降は修学旅行の再開などで出荷数が前年を上回ったそうです。社会現象を巻き起こしている人気漫画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」の波及効果も大きいとみられております。いつの時代も、なぜ刀は子どもたちを魅了するのだろうか。信男さんは笑顔を浮かべていたそうです。
確かに、我家も息子が小さい時に、家族で観光で飯盛山に行った際に、白虎隊のマークが入った木刀を買ってあげました。いつの世も子供はチャンパラが大好きです。この先、チャンバラは永遠に不滅かもしれません。会津若松市が、全国の木刀の製造の市場独占とは、なんか嬉しくなりました。
【記者 鹿目 哲生】
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