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ザ・戊辰研マガジン

2021年06月号 vol.44

通じない言葉

2021年05月30日 11:17 by norippe
2021年05月30日 11:17 by norippe

 城は焼け落ち、お殿様は仙台方面に逃げて行った。甘田久五郎もなす術が無く北へと逃げ落ちた。官軍の追手を避けるべく藪の中、道なき道を突き進んだ。今日一日、何も口にしていない。腹が減っては戦が出来ぬと言うが、戦はすでに決着がついている。降参すれば僅かの飯にありつけるかも知れない。しかし捕らえられたら命が危ない。腹の心配よりまず命の心配だ。久五郎は更に北へと逃避行を続けた。
 山また山を突き進み、足は棒のように固くなり思うように歩けなくなった。そしてそばにあった大きな石につまずき転んでしまったのだ。転ぶ勢いで目の前にあった笹竹にしがみつき、かろうじて顔面を地面に打ち付けるのは避けられた。しかし、笹竹を素手で掴んだため、手のひらから赤い血がにじんできた。ヒリヒリと痛い。舌で舐めて、にじむ血をなんとか抑えた。
 つまずいた石に腰を下ろし、少し休憩をとる事にした。あたりは鬱蒼と草木が茂り、聞こえてくるのは川のせせらぎ。時々キジが藪から飛び立つ音がするくらいだ。 体力も消耗し、しばらくの間こうべを垂れて目を閉じて、じっとしていた。
 すると、その時である。
 前方の藪が少し揺れ、「ガサ」っと音がした。慌てて目を見開き前を見た。この辺は熊も出るのでこれはまずいと思った。すかさず腰に差していた刀に手を当てた。
 すると、藪の中から「イスか?」という声が聞こえてきた。熊でないことが分かったので安心したが、またしても「イスか?」という問い掛けの声。
 久五郎は相手が何を言っているのか分からずに戸惑っていると、「イスか?」「イスか?」の声がして、それでも返答をしなかったため、相手は藪の中から飛び出して来た。一人ではなかった。5,6人の侍が刀を振りかざして久五郎に襲い掛かって来たのだ。
 久五郎は今来た方向へ必死で逃げた。相手は鋭く追って来る。しかし、逃げながら相手が仙台藩士であることに気付いたのだ。そして「俺は平藩だ、平藩だ!」と大きな声で叫んだのである。列藩同盟軍内で敵味方を識別するために、合言葉が決められていた。久五郎はその合言葉が「石」であることを思い出したのだ。「イス」は「石」、東北独特の訛り言葉だったのである。

 この甘田久五郎は後の名を「天田愚庵」と称し、このマガジンでも創刊号から登場した人物である。この話は逸話であるが、よりリアルさを出すために私が肉付けをしてみた。



 東北地方だけではないが、言葉には方言や訛りというものがあり、意味が通じぬばかりに苦労する事が多い。今回の甘田久五郎のように「シ」と「ス」の区別がつかずに災難にあうこともある。仙台藩士が正しい発音で「イシ」と声を掛けていたなら、すんなり事はおさまったはず。
 東北では「寿司」を「スス」と発音する人がいる。「シ」と「ス」、「エ」と「イ」の発音違いは特に多い。「チ」と「ツ」もそうである。「チーズ」を「ツーヅ」と言う人もいる。
 東北弁は訛りも独特だが、イントネーションも独特である。東北弁、特に青森弁のイントネーションはフランス語に似ているとも言われている。同じ東北でありながら、地域によってまったく意味が通じない事も数多い。

 芸能人のコロッケがよくモノマネをした往年の歌姫・淡谷のり子さんは青森出身。その青森出身の淡谷さんが原語でシャンソンを歌った時、フランス人が普通にフランス語で話しかけて来たそうだ。あまりにも発音が良すぎて、普通にフランス語が喋れると思ったらしい。淡谷さんはフランス語は一切話せないのである。

 私が昔勤めていた会社にも青森出身の社員がいたが、日本語と思えないくらい何を言っているのか分からない流暢なフランス風日本語であった。正直、通訳が欲しかった。沖縄の社員もいたが、沖縄の方言を使われるとこれがまた大変。残念ながら沖縄と青森の社員が会話をしているところに遭遇した事がないが、もしこの二人が会話をしたらどんな具合であっただろうか。想像すると笑いが止まらない。

 福島にも他県では理解出来ない方言が沢山ある。
 「ごせやげる」これは何かが焼けるとかではなく、腹立たしく思った時に発する言葉で、「あんべわり」は具合が悪いときにいう言葉。「さすけね」は大丈夫ですからどうぞお構いなくといった言葉。
 大河ドラマ「八重の桜」で八重を演じた綾瀬はるかさんは、会津に来るたびに「さすけね」「さすけね」と言っているが、本当にさすけねぇのだろうかと思うのだ。「八重の桜」は会津言葉をふんだんに使われたドラマであったが、福島県以外の視聴者からは、方言が多くて意味がよく掴めないといった意見も多かった。当地の雰囲気を出す為に方言を使うことは大切であるが、意味が掴めないのは見る側にとってはマイナス要素であることも確かである。

 先日放送が終わった朝ドラの「おちょやん」は大阪が舞台のドラマであったが、バリバリの大坂弁でも抵抗なく見れたのは、大阪弁自体が日本にとってメジャーな言葉になりつつある為ではないかと思われる。
 しかし東北弁はまだまだ浸透はない。というより、東北の若い人は東北弁を人前で使おうとしないがため、そのうち東北訛りの人はいなくなってしまうのではないかと思うのである。京都や大阪の人は自分たちが話す言葉に何ら抵抗なく、自信を持って話している。東北の若い人たちも、東北弁を恥と考えず、東北は東北の文化と考えて自信を持って東北弁を話すべきだと考えるのである。そうすれば、東北弁もメジャーな日本語という認識を持たれるようになるのではないだろうか。


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