龍馬の意思を継いだ「北の龍馬」たち
引き出しを整理していましたら、出てきました、北海道浦臼にある郷土資料館のパンフレット。あれはもう20年ほど前になるでしょうか。メールがきて、私の「みちこの幕末日記」の池田屋の画像を使わせてほしいと東京のパンフレット制作会社の担当者からの通知、、小躍りして、勿論、了解ですと即答しました。名前も入れて頂き、良い記念となりました。
坂本家と浦臼の関係です。
龍馬は、蝦夷地への移住計画を立てていたが、暗殺で北海道移住の夢は叶わなかった。家督を継いだ龍馬の姉(千鶴)の息子の高松太郎(後に坂本直に改名)は、維新後、蝦夷地に渡り箱館裁判所に勤務した。
高松太郎が没した後、妻の留とその息子が浦臼に坂本直寛を頼りに移住し、没するまで町内で駄菓子屋を経営して生計を立てながら、浦臼町の発展に尽力した。そのゆかりの品々は、浦臼町郷土史料館に収蔵され展示されている。
その坂本直の弟・坂本直寛は、1895年に高知で有名な移民団「北光社」を設立している。1897年5月に家族など約100戸を従えて、北見クンネップ原野へ到着、開拓が始まる。
直寛の孫は山岳画家の坂本直行(1906-1982)で、北大農学部入学後、1936年から十勝管内広尾町に入植し、十勝の大自然を描いている。十勝管内中札内村に「坂本直行記念館」がある。帯広銘菓「六花亭」の包装紙のイラストは、坂本直行の作品である。
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