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ザ・戊辰研マガジン

2022年10月号 vol.60

【史跡を巡る小さな旅・二】西應寺(最初のオランダ公使館)

2022年09月12日 10:17 by tange
2022年09月12日 10:17 by tange

 JR山手線の田町駅と浜松町駅の中間、港区芝2丁目に、西應寺は在る。ビルに囲まれた正に都心の寺だ。今は、その大半が幼稚園舎と園庭である。
 西應寺は応安元年(1368)に草創された由緒ある古刹。江戸開府の直前、天正19年(1591)に徳川家康から寺領10石の寄進を受ける。その後、境内地を含め9000坪という広大な寺領を有する寺院となり、浄土宗の名刹として江戸庶民の崇敬を集めていた。しかし今、江戸切絵図、尾張屋清七・嘉永3年(1850)板「高輪扁絵図」を見ると、薩摩藩上屋敷の東端に接した西應寺は、近世の終わる頃、かなり狭い土地に押し込められていたようだ。
 外様雄藩と言われた薩摩藩の上屋敷は、外様であるが故に城から遠い。ただ、雄藩の意地を示すように本当に広かった。かつての薩摩屋敷は、都心を南北に走る幅員の広い日比谷通りで分断されるが、残余の敷地だけで、NEC本社ビルを含め六棟もの超高層ビルが林立する。
 NEC本社ビルの道路際に「薩摩屋敷跡 西郷吉之助書」と刻まれた石碑が立っているが、それは、ほんの一部に過ぎないのだ。そんな薩摩屋敷と比べれば、どんな土地も狭く見えて当然なのか……。

 西應寺では、幕末、色々なことが起きる。
 安政5年(1858)7月18日、同寺は、英国使節エルギン卿一行の宿館となり、日英修好通商条約締結の場となる。
 安政6年(1859)9月1日、同寺に、前年7月10日に締結の日蘭修好通商条約により、最初のオランダ公使宿館が設置される。
 慶応3年(1867)12月25日、江戸城下の騒乱取り締まりに端を発して、庄内藩による薩摩藩邸襲撃事件が起き、隣接する同寺は兵火で全焼する。


西應寺・山門(遠くに薩摩屋敷跡のNEC本社ビルが見える)

 西應寺は、昭和28年(1953)11月3日、善福寺(アメリカ)、東禅寺(イギリス)、済海寺(フランス)とともに、オランダ公使宿館跡として史跡に指定された。さらに、昭和30年(1955)3月28日、都旧跡となる。
 繁華な大通りにつながるあまり広くない道を行くと、西應寺の山門が見えてくる。真新しい山門である。その左側に「都旧跡 最初のオランダ公使宿館跡」と刻まれた大きな花崗岩の碑が立っている。都旧跡という文字から、昭和30年の指定後に立てられた石碑であることがうかがえる。



 山門をくぐると、幼稚園の園庭があり、それを囲むようにL字型平面の園舎が見えている。山門正面奥の本堂は、1980年代に一世を風靡したポストモダン建築なのであろうか、興味深い建造物だ。幼稚園舎とポストモダン建築で、ここが寺の境内であることを忘れそうになるが、少し歩くと墓地に出会い、確かに寺であることに気付かされた。
 門前に立つ東京都教育委員会の設置した表示板によれば、公使館として使用されていたのは現在の幼稚園舎の辺りだ。しかし、その跡を示すものは一切残されていない。
 同じ表示板に次のような文言が読める。
 「慶応元年(1865)以降に長応寺でのオランダ公使館に関する普請記録があることや、慶応3年(1867)12月の薩摩邸襲撃事件の兵火で西応寺が全焼したことなどから短期間の使用であった可能性があります」
 つまり、ここ西應寺での公使館は、短期間で閉鎖され長応寺へ移転したと説明しているのだ。調べると、長応寺は泉岳寺近くの寺であった。

 田町駅から一つめ高輪ゲートウェイ駅へ向かう。赤穂四十七士の墓があることで有名な泉岳寺の門前で、「歴史と文化の散歩道(高輪、潮の香散歩)」の案内板を見つける。その地図上に、「長応寺、オランダ公使館跡」と確かに表記されていた。
 港区高輪2丁目のその辺りを歩き回り、オランダ公使館跡を探す。結果、散歩道の地図が示す地点は現在、マンション大手のSレジデンスになっていると判断した。かなり広い敷地なので、そのどこかに公使館跡を示すものがあるに違いないと考えた。たまたま玄関前にいた管理人に、石碑などの所在を尋ねる。「この敷地内に、そのようなものは一切ありません」と、けんもほろろの返答だった。
 公道に設置された都の案内板に明示されている史跡が、実際には無いという大変ミステリアスな事態となって、この小さな旅は終わった。

 現在の駐日オランダ王国大使館は港区芝公園3丁目に在る。東京タワーのすぐ北側である。初代公使館の西應寺とは、それほど離れていない。
 そこでは、チューリップの季節に、庭園の一部が公開されていたが、コロナ禍の今、定かではない。

鈴木晋(丹下)


次号、「高輪ゲートウェイ駅から東禅寺、泉岳寺」


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