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ザ・戊辰研マガジン

2022年10月号 vol.60

秩父宮妃勢津子さまの功績に触れる(会津若松市御薬園)

2022年10月02日 12:02 by tetsuo-kanome
2022年10月02日 12:02 by tetsuo-kanome

 会津松平家から皇室に嫁いだ秩父宮妃勢津子さまの遺贈品を紹介する展示会が9/10、会津若松市の御薬園内にある重陽閣で始まりました。9/9は関係者向けの内覧会が開かれ、会津葵の紋が入ったたんすや直筆の和歌など、勢津子さまの生前の様子や活躍を感じさせる展示物が注目を集めました。戊辰戦争で会津藩が朝敵とされた経緯から、勢津子さまが皇室に嫁いだことは「朝敵という汚名をそそぐ、希望の光」と語り継がれている。尾張徳川家が所有していた遺贈品が会津若松市に寄付されたことから、勢津子さまの功績を広く紹介しようと展示会が企画された。 会場では、遺贈品10数点と、在りし日の写真などを紹介している。展示品の中でも存在感がある黒塗葵紋散箪笥(くろぬりあおいもんちらしたんす)は嫁入り道具として持参されたもので、たんすに描かれた会津葵の紋は宮内省(現在の宮内庁)の配慮で特別に許されたという。どれも手入れが行き届いており、新品のように輝き威厳を放っている。

【雍仁親王妃勢津子(やすひとしんのうひ せつこ)妃殿下】

 雍仁親王妃勢津子(やすひとしんのうひ せつこ)は、秩父宮雍仁親王の妃。旧名は松平節子(まつだいら せつこ)。身位は親王妃。お印は菊(きく)。 旧会津藩主・松平容保の六男で外交官の松平恆雄の長女。秩父宮雍仁親王は、昭和天皇の次弟。「朝敵」の領袖である松平容保の孫にあたる勢津子妃の皇室への入輿は、旧会津藩の士族の復権に繋がり、当然会津人の感激は並ならぬものであったという。大正天皇の4皇子(昭和天皇・雍仁親王・高松宮宣仁親王・三笠宮崇仁親王)のうち、三笠宮妃百合子を除く3親王妃(香淳皇后・勢津子・高松宮妃喜久子)は、いずれも大物佐幕派(久邇宮朝彦親王・松平容保・徳川慶喜)の孫であり、本人たちもそれを笑い話にしていたと言われる。

 新島八重は、勢津子姫御成婚の喜びを、

  “いくとせか  峰にかかれるむら雲の晴れて  うれしき光をぞ見る”

と歌に詠んでいる。恐らく八重はこの歌を短冊にしたためて、何人もの旧友に贈った。昭和3(1928)年は、9月の秩父宮勢津子(せつこ)妃の婚礼だけでなく、昭和天皇の即位の礼が11月10日、京都御所で行われている。その時、会津ゆかりの人々も参列している。くしくもこの年は、戊辰戦争60年に当たることから、鶴ケ城開城の日(9月22日、新暦11月6日)に近い11月17日、参列者や会津ゆかりの人たちでつくる京都会津会のメンバーは、京都守護職時代に会津藩本陣の置かれた黒谷(現京都市左京区黒谷町)金戒光明寺塔頭(たっちゅう)の西雲院(さいうんいん)に集合し、境内にある会津藩殉難者墓地の墓前で秋季例会を開催した。そこには、松平容保の子である12代当主の松平保男(もりお)と、昭和22年に初代参議院議長となった松平恒雄(つねお)のほか、明治34(1901)年に東京帝国大学総長となった山川健次郎、シュガーキングと呼ばれた実業家松江春次(はるじ)、さらに会津からは、飯盛山主(やまぬし)の飯盛正成らが参列した。計62人の中に女性3人が含まれ、そのうちの一人が八重だった。集合写真には、中央に松平保男と恒雄が座り、前列左から3人目に八重が座っている。

(前列左から三人目が新島八重)

 新島八重は、会津ゆかりの人との再会をそれはそれは喜んだようで、

   “千代経(ふ)ともいろも変わらぬ  若松の木のしたかげに  遊ぶむれつる”

という歌を、保管していた写真の裏に書き残している。

 秩父宮勢津子妃殿下は、生涯、会津人としてのアイデンティティを強く意識していたとされる。司馬遼太郎が祖父・松平容保公を描いた小説『王城の護衛者』が雑誌に掲載されると即座に目を通し、「祖父の立場を初めて公平に書いてくれた」旨、会津松平家当主の松平保定を通じて礼の言葉を司馬に伝えている。1995年85歳の生涯を終えました。

 勢津子妃殿下の父の松平恆雄氏は、松平容保公の六男として御薬園で生まれました。後に、初代参議院議長になりました。

 私も会津若松市の御薬園の重陽閣にて展示されました「秩父宮妃勢津子殿下」の遺贈品は、とっても見たかったです。戊辰戦争で会津藩が朝敵とされた経緯から、勢津子さまが皇室に嫁いだことは、まさに「朝敵という汚名をそそぐ、希望の光」と語り継がれている遺贈品は、さぞ素晴らしかったことでしょう。

【記者 鹿目 哲生】

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