慶応4年(1868)、新撰組の土方歳三は宇都宮城(栃木県宇都宮市)の攻防戦で足に銃弾を受けて負傷、その後、旧幕府側の会津藩主松平容保を頼り会津若松城(福島県会津若松市)に陣を移すと療養の為、投宿とした七日町の清水屋旅館から東山温泉に足しげく通ったと云われています。東山温泉の中でどの旅館を利用したのかは諸説あり「きつね湯:現在の向龍・会津藩の保養場」、「瀧の湯:庄助の宿・会津藩の座敷役場」、「猿の湯:不動滝旅館」が推定されています。特に猿の湯の岩風呂は土方歳三戦傷湯治の旧跡として保存公開されています(この岩風呂は東山温泉発祥の源泉跡とも云われています)。
土方歳三が浸かったという岩風呂。通称「猿の湯」と呼ばれています。今でも枯れずにわずかではありますが、温泉が湧いているようです。
今回の私は、会津若松市訪問時に久しぶりに東山温泉に宿泊しました。翌朝、ホテルのチェックアウト後、土方歳三が傷を癒した「猿の湯」を探しました。宇都宮の戦いで負傷した傷が、東山温泉で癒せたと思うと嬉しくなりました。
また、東山温泉には、作家の与謝野晶子も二度訪問されているそうです。その際に詠んだ歌碑がありました。
【東山温泉の歴史】
私は、これまで東山温泉には何度も宿泊しておりましたが、土方歳三や与謝野晶子も東山温泉に訪問していたことは今回初めて知り、縁がある場所を巡ってみました。どれも興味深い場所ばかりで大変有意義でした。東山温泉の歴史や、民謡「会津磐梯山」に登場する小原庄助さんの「朝寝、朝酒、朝湯」も、実は東山温泉のことだったかも・・・ということは、とっても興味深かったです。
【記者 鹿目 哲生】
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