コロナ禍のため、3年ぶりで「倉敷屏風祭」が開催されました。
「倉敷屏風祭」は、倉敷市の本町から東町にかけての美観地区一帯で、通りに面した住宅や商店など34軒が、屏風や家宝を飾り、訪れた人をもてなす秋の恒例の催しです。 江戸時代末期から明治時代初期にかけて行われていたこの祭りは、一時中止されていましたが、賑わいを取り戻そうと、2002年に復活していました。
同時に、倉敷阿智神社の秋祭りも3年ぶりに開催されました。
そして、祭りの主役の素隠居です!
素隠居とは、、
元禄5年(1692年)、阿智神社にほど近い戎町の宰領を務めていた沢屋善兵衛が寄る年波に勝てず、人形師の柳平楽に頼んで「翁」(じじ)と「媼」(ばば)の面を作らせ、店の若者にこの面を被らせ、主人の代理として御神幸の行列に参加したことに始まるとされています。素隠居という呼び名は明治以後誰彼となく、この「じじとばば」のことを呼びはじめたようですが、ただの御隠居という意味で「素の隠居」であったり、「素晴らしい隠居」であったり、「素朴な隠居」というような意味が語られています。
この素隠居の面は見た通り、らっきょうの形に似ていることから怯えながらもこの素隠居を挑発する子供達は「すいんきょ、らっきょう、くそらっきょう」とはやしたてて逃げまどう。素隠居が持っている渋うちわで頭を叩かれると、賢くなるとか、健康になるとか言われています。 また、別の言い伝えには、この素隠居は神代の昔、天孫降臨の御先導を承った塩土翁の由縁にちなんで、御神幸の通路を清めて悪魔祓いするのだという説もあります。 だから、倉敷の祭りでは、親たちは子供たちが怯え、泣き叫んでもその子供たちの頭を素隠居の前に差し出したり、お年寄りは素隠居に手を合わし、感謝をしながら、頭を叩かれるという、奇妙な風景が展開されて見ていて、とても楽しい光景となっています。
祭りの行列が倉敷市内の中心部一周から帰って来ました。
祭りも終わり、秋が近づいてきています。
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