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ザ・戊辰研マガジン

2024年冬季号№4

国宝松本城

2024年01月01日 20:26 by tetsuo-kanome
2024年01月01日 20:26 by tetsuo-kanome

【松本城天守】

 

 姫路城、彦根城、犬山城、松江城とともに国宝に指定されている松本城は、天守の築造年代は文禄2~3(1593~4)年と考えられ、現存する五重六階の天守としては日本最古の城です。松本城は、戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりです。世が戦乱に向かうと、信濃の守護・小笠原氏は信濃府中と言われた井川にあった館を東山麓の林(今の里山辺)に移します。その家臣らは林城を囲むように支城を構え、守りを固めました。深志城も林城の前面を守るために造られたのです。その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、松本平を治める拠点として深志城を選んで信濃支配を目指しますが、天正10(1582)年に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。 天正18(1590)年、豊臣秀吉が天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。このとき松本城主・小笠原秀政が家康に従い下総へ移ると、石川数正・康長父子が代わって入城し、城と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。 松本城は、松本の街のシンボルであり、市民の心の拠りどころでもあります。それは、その後のいくたびかの存続の危機を市民の情熱によって乗り越えてきた歴史があるからでもあります。

【松本城天守内】

【松本城天守六階】

【松本城天守六階からの眺望】

 11/23、我々夫婦は、初めて国宝松本城を訪問しました。紅葉に映える松本城天守は美しかったです。天守六階までの階段は、これまで訪問した城の中で一番勾配が急で、上りも下りも四苦八苦しました。さすが日本最古の現存する城であることを痛感しました。大河ドラマ「どうする家康」で、主君徳川家康の片腕だった石川和正が城主だったかと思うと感慨深かったです。

【石川数正】

【大河ドラマ「どうする家康」の石川和正役の松重豊氏】

 松本市には、もう一つ国宝があります。明治9年に完成した旧開智学校です。地元の大工棟梁立石清重が設計した学校建築で擬洋風建築の代表です。文明開化の時代を象徴する洋風とも和風ともいえない不思議な建築は「擬洋風建築」と呼ばれています。 注目すべきは正面の車寄せ、この一点に擬洋風が凝縮されています。八角の太鼓楼と寺っぽいアーチの窓、青竜の上に雲がわきその上に二人のエンジェルが「開智学校」の旗を掲げています。文明開化時代の日本一の小学校「擬洋風建築」を見学して見てください。 1961年から国の重要文化財として指定されていますが、2019年に国宝に指定されました。

【国宝 旧開智学校】

【松本市内の見事な紅葉】

【信州の珍味】

【記者 鹿目 哲生】

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