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ザ・戊辰研マガジン

2024年冬季号№4

【史跡を巡る小さな旅・十一】白金

2024年01月05日 00:56 by tange
2024年01月05日 00:56 by tange


 港区・白金(しろかね)を歩く。
 白金を「しろがね」と発音する人がいるが、それは間違いである。15世紀初頭、この地を開墾した人が沢山の銀(しろかね)を持っていたことから銀長者と呼ばれ、それが白金長者になり、その住む村がいつしか白金村と呼ばれるようになった。区による町名表示や地下鉄の駅名表示など全て「しろかね」である。

 街を南北に二分するように白金通りが走っている。その北側一帯は、今では普通の住宅街であるが、明治27年(1894)頃から鉄工、鋳物、メッキなどの町工場が集まる地域となった。そのため、工場で働く人やその家族が多く住み、彼らの生活を支える商店が立ち並ぶ繁華な街になる。昭和の初めには、質屋、銭湯、ミルクホール、演芸館、ビリヤード場、釣り堀などがあり、サーカス広場まであった。北側の境界を東京湾まで流れる古川(ふるかわ)が、原料や製品の運搬を担うことで、町工場の成立に深く関わっていた。
一方、南側一帯は武蔵野台地の端部で、幕末まで複数の大名屋敷があり、今は三光坂、蜀江坂、明治坂などの急峻な坂道から成る住宅街で、永い時の流れに残る寺院や神社も点在している。同じ白金と呼ばれるが、北と南でかなり様相が異なるのだ。
 さらに町名表示では、通りを挟んで北は一、三、五丁目と奇数で、南は二、四、六丁目と偶数だ。つまり、隣接する丁目が必ず一つ飛んでいる。この街を初めて訪れ、訪問先などを探す人にとって、非常に分かりづらい。それには、何か意図があるのだろうか……。

 地下鉄・白金高輪駅から白金通りを少し歩いた左(南)側の道端に、大光山と刻まれた太い石柱を見つける。そこから長い上り坂の先が大光山重秀寺(ちょうしゅうじ)の本堂である。臨済宗妙心寺派の寺で、寛永3年(1620)創建。
 さらに通りを往くと、白金氷川神社への階段に出会う。頂上の神殿の傍らに立つ縁起書によれば、神社の創建は何と白鳳時代とのこと。白鳳とは、飛鳥と天平に挟まれた今から1300年以上も前の時代だ。


白金氷川神社

 白金通りを進んで右(北)側、超高層ビルを含め施設が多数広がるのは北里研究所である。免疫学を初めとする我が国予防医学の重要な基礎を築いた北里柴三郎博士が、大正3年(1914)、ここに創設した研究と教育の場。敷地中央部には、恩師のコッホ博士とともに合祀されたコッホ・北里神社が鎮座する。大きくはないが、姿の良い祠だ。
 構内の一画に北里柴三郎記念館があり、公開されている。玄関ホールへ入ると、この地に建てられた旧本館の模型が置かれていた。北里がコッホに学んだドイツの伝統的な様式を厳密に踏襲した木造建築で、和洋折衷などのデザインを採用しなかった彼の強い思いが伝わってくる。旧本館は愛知県の明治村へ移築、原形保存されているので、その模型を実物大で見ることができる。
 入手した冊子に掲載された「北里研究所本館竣工当時の白金界隈」と題する鳥観図に目を奪われる。本館の背後、かなり離れた位置に、今では姿を消した町工場のものと思われる高い煙突が描かれていたからだ。


北里研究所・旧本館模型

 北里研究所前から通りを挟んだ蜀江坂(しょっこうざか)をずっと続く煉瓦造の塀に沿って上がる。そこは、上皇后陛下が高校生の時まで通われた聖心女子学院で、嘉永7年・尾張屋清七板「白金絵図」に拠れば松平十郎麿の下屋敷跡だ。
 蜀江坂を上り切って右に折れ尾根道を往けば、江戸より続く興禅寺が見えて来る。その寺には、朝敵とされた会津藩の罪を一身に受けて命を絶った首席家老・萱野権兵衛長修と、鳥羽伏見の戦いで錦の御旗が掲げられ、藩主へ東帰を進言したことを朋輩に責められて自刃した甥の神保修理長輝の墓が二つ並んで立っている(参照、本誌第6号・拙稿「興禅寺」)。
 そのまま住宅が建て込む尾根道を進むと明治坂の頂に達する。そこを左に折れ、一気に下ればプラチナ通りだ。
 プラチナ通りは、町名が白金台を走っていて、本稿の白金とは直接関係しない。ただ、そのイチョウ並木の坂道は、特に初夏と晩秋が美しく、両側にちょっと寄ってみたくなる店舗などが並んでいて、この小さな旅には外せない。


プラチナ通り(白金台)

 プラチナ通りをゆっくり散歩して目黒通りに出ると、地下鉄・白金台の駅である。それは、地下鉄の一駅分を歩く小さな旅となった。

鈴木丹下


次号、「目黒通り」と「行人坂」

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